明治前半期の政治思想用語。国権主義と同一に用いられる。国権とは国家の権力または国家の統治権を意味するが,明治維新後,〈民権〉の語とともに,これに対抗する形で登場した。また,内治派に対して国権派などとも使用された。民権論が,人民の権利や自由が保障されて初めて国家の権力が強化・伸張される,としたのに対して,国権論は,国家の権力が強化されてこそ人民の権利や自由が保たれる,と主張するものである。しかし,国権論と民権論は必ずしも図式的に明分した形で展開されたわけではなかった。福沢諭吉の初期の思想に見られるように,個人の独立自尊と国家の独立獲得への要求がバランスを保ち,また,自由民権論者たち自身の中にも国権論が内在していたように,民権と国権とが共存していたからである。加えて,国権論には人民の基本的権利を抑えるという対人民的側面とナショナリズムという対外的側面があった。さらに,対外の面では,国権論は国家の対外的自己主張の表明にほかならず,明治前半期にはその自己主張が対欧米と対アジア諸国の2方向に対してなされた。前者の場合,欧米諸国との間の不平等条約に表れていたように,国権回復・民族独立という悲願があり,その実現の一方策としての欧化姿勢(欧化主義)があった。後者の場合は,征韓論に始まるアジア諸国に対する国権行為が指摘できる。そして,この両者には,欧米諸国に対する国権回復の前提としてのアジアにおける強力国家日本の実現という連動性があった。このように,自由民権期には民権論と国権論とが併存していたが,民権運動の高まりの中では国内の民主革命(民権)に力が注がれて国権論への偏向に歯止めがかけられていたが,運動が衰退するにつれて,対外的な国権の要求が内国の民権の要求を圧倒して優勢化し,明治20年代に入ると,アジア諸国に対する国権行為は明確に対外侵略主義に転換をとげるに至った。そうした過程の中で,イギリス,フランスの民権主義の学風に対抗して,国権主義のドイツ学の積極的摂取がなされ,文字どおり《国権論》(シュルツェHermann Schulze著,木下周一訳,1882)という書物が刊行されたり,熊本国権党などの政治結社が生み出されていった。
執筆者:佐藤 能丸
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明治時代のナショナリズム思想で、国家独立の権利を主張する論。19世紀における欧米列強の東アジア侵略という国際環境のなかで、これら列強の圧力下で結ばれた不平等条約を改正し、国家の独立を維持することは明治期の国民的課題であったから、国権論は政府、民間を問わず広く支持された。自由民権運動は、国家間の対等独立は個人の自主独立によって基礎づけられるとの考えにたち、国家に対する個人・国民の自由権利の確立、つまり民権の確立こそ国権確保の前提であると主張した。これに対し明治政府は、富国強兵のスローガンを掲げ、国家あっての個人との考えにたって、民権に対する国権の優位を主張した。民権運動の衰退に伴い国権優位論が高まり、内にあっては人権や自由を制限して国家権の拡大を当然とする国家主義、外に対しては国家の独立を超えて膨張主義、侵略主義を是認する強大国志向が喧伝(けんでん)されるようになった。
[松永昌三]
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国家権力の強化と伸長,国威の確立と拡張を主張する政治理論。主として明治国家確立期に説かれた思想をさし,民権論に対抗する理論として,また征韓論に始まる一連の対朝鮮侵略論や軍備拡張論と連動して主張された。とくに明治10年代後半に民権運動が衰退すると,日本の開化・欧米化の認識とともに,対外的国権拡張の意識が増長し,大日本帝国憲法の発布や日清戦争を契機に,国権主義的ナショナリズムが台頭した。思想的には,皇室中心・君権至上主義的なものから,民族・文化の優秀性を説く国粋主義的なもの,国体の特異性を強調する日本主義的なものなど多様である。いずれも,天皇制国家の専制的国民支配と対外侵略を肯定し,鼓舞する役割をはたした。
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各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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