日本歴史地名大系 「台宿町」の解説 台宿町だいじゆくちよう 群馬県:館林市館林城下台宿町[現在地名]館林市台宿町館林城下の北端の台地上に発展した町。南北に日光脇往還が走り、北端に佐野(さの)口門がある。戦国期には当地一帯は台宿原とよばれたらしい。天正一九年(一五九一)榊原康政が城下の町に周辺の村民を移住させた際、当地の者も商人となって町方へ移ったと伝える。天正一八年豊臣秀吉の相模小田原城攻めに先立ち、天徳寺了伯が作製したと伝えられる下野絵図(福地家蔵)によると、当町南端付近に「小柳清水」という湧水があり、これに連なる流れが東へ延び館林との境界をなしていた。 台宿町だいじくちよう 神奈川県:小田原市小田原城下台宿町[現在地名]小田原市本(ほん)町二丁目・浜(はま)町一丁目一丁田(いつちようだ)町の北、大工(だいく)町の南、甲州道沿いの脇町。西接して中世頃の住人林学渡辺重政に由来する林学小路(りんがくこうじ)があり、小田原北条氏の臣山上強右衛門屋敷跡を山上横(やまがみよこ)町という。貞享二年(一六八五)の小田原町明細書上(県史九)によれば本人足役八人分を負担し、他の九町とともに小田原宿の朱印人足および賃人足を勤める。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by