(小和田哲男)
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安土(あづち)桃山時代の武将。徳川家康直属の有力部将で譜代(ふだい)大名。幼名小平太、官名は式部大輔(しきぶたいふ)。三河一向一揆(いっこういっき)で家康に敵対した家老酒井忠尚(ただなお)の小姓(こしょう)であったといわれる。1560年(永禄3)岡崎に帰城した家康に属して近臣となり信任を得、三河一向一揆で初陣を飾り、家康の一字を与えられ康政と称した。永禄(えいろく)(1558~70)末年、本多忠勝(ただかつ)と同じ旗本一手の軍団を指揮する部将に取り立てられた。五か国領有時代を通じ旗本部将でつねに第一戦で軍功があり、同様の地位にあった本多忠勝、井伊直政(いいなおまさ)とともに三傑と称せられた。関東入部後は上野(こうずけ)国(群馬県)館林(たてばやし)で10万石を与えられた。関ヶ原の戦い後、忠勝、直政とともに参陣した大名の論功行賞にあたり、政治の中枢にあった。
[煎本増夫]
近世初期の武将。通称小平太。式部大輔に任じた。はじめ酒井忠尚の家臣で,1560年(永禄3)岡崎に帰城した徳川家康に属し近臣となった。三河一向一揆に初陣,家康の一字を与えられ,永禄末年に旗本一手の軍団を指揮する部将に取り立てられた。以後,徳川氏の5ヵ国領有期の諸合戦ではつねに第一線にあって活躍。関東入国時,上野国館林で10万石を与えられた。
執筆者:煎本 増夫
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…世にいう江戸御打入りで,ここに関東は100余年にわたる戦乱に終止符を打ち,やがて関ヶ原の戦を経て1603年(慶長8)江戸幕府開設という新たな歴史段階を迎えた。江戸城に入った家康は榊原康政を総奉行として直ちに関東の知行割に着手した。上野国は江戸城北辺の外郭に当たる防衛線であったから,とくに家康側近の重臣を配置した。…
…戦国末期には長尾顕長が城主のあと,後北条氏,上杉氏らの攻防があった。1590年(天正18)徳川家康の関東入国に伴い,榊原康政が10万石で入封,利根川の築堤など領内の開発とともに城郭,城下町を拡大整備した。その後,徳川綱吉が城主となり,城の大改修が行われたが,将軍になったあと1683年(天和3)廃城破却となり,1707年(宝永4)松平清武の入封以後再築された。…
…上野国(群馬県)邑楽郡館林城に藩庁をおいた譜代中藩。1590年(天正18)徳川家康の関東入国にともない,四天王の一人榊原康政が10万石に封ぜられて立藩。所領は邑楽・山田両郡および下野梁田郡にわたる。…
※「榊原康政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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