吉倉村(読み)よしくらむら

日本歴史地名大系 「吉倉村」の解説

吉倉村
よしくらむら

[現在地名]八街市吉倉

東吉田ひがしよしだ村の南に位置し、東は柳沢やなぎさわ牧。元禄三年(一六九〇)の飼犬村々連判書(佐倉市保管文書)には吉蔵村とみえる。「家忠日記」天正二〇年(一五九二)三月六日条に、上総知行分の一としてみえる吉倉之郷一二四石余は当地のこととみられる。その後旗本鈴木領を経て(前掲連判書)、元禄一二年からは旗本戸田領となり、戸田領印旛いんば五ヵ村に属した。元禄郷帳では高八九石余、以後変わらず。小間子おまご牧付村の一つ。

吉倉村
よしくらむら

[現在地名]津幡町吉倉

はちたに村の南西、吉倉川と大熊おんま川の合流点山麓に位置。地名は郷倉があったことによるという(加賀志徴)。天文七年(一五三八)―八年分の金津庄鉢伏村算用状案(賀茂別雷神社文書)の重利名算用に「吉蔵藤兵へ」とみえる。吉蔵は前後の記載例から地名の可能性が高く、当地に比定できよう。正保郷帳では高四六八石余、田方二〇町・畑方一一町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高四五六石、免六ツ一歩、小物成は山役二五二匁・蝋役二匁・漆役二匁・綿役四匁(三箇国高物成帳)

吉倉村
よしくらむら

[現在地名]富山市吉倉

神通川右岸沿いに位置し、東は中田なかだ村。富山藩領。万治三年(一六六〇)以降に押上おしあげ村から分村したというが、元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳に村名はみえない。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高四〇〇石余。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高三九九石余・定免三ツ三歩三厘、新田高五〇石余・平均免一ツ二歩八厘余、小物成は林役一三匁・塩野役一〇二匁余・鮭川役二一匁・鱒川役二一匁・鮎川役七匁余・塩野増役一一匁。

吉倉村
よしくらむら

[現在地名]安達町吉倉

渋川しぶかわ村の北に位置し、東は米沢よなざわ村、北はさかい川を挟んで信夫しのぶ郡の八丁目はつちようめ村・水原みずはら(現福島市)境川に近い字小屋こやには中世畠山氏の最前線であった小屋館があり、伊達実元の八丁目館と対峙していた。天正一三年(一五八五)一一月には小屋館で畠山・伊達両軍の戦闘があった(政宗記)。翌一四年八月二四日の二ほん松をん所の日記(伊達家文書)によると「ゆさ源左エ門」に恩地として「吉くらの村一宇」が宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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