吉浜 智改
ヨシハマ チカイ
- 肩書
- 具志川村(沖縄県島尻郡)村長,久米島農業会会長
- 生年月日
- 明治18年9月2日
- 出生地
- 沖縄県久米島具志川村
- 経歴
- 朝鮮駐屯軍の憲兵軍曹として3年間軍務につき、昭和7年具志川村長。戦時中は村の農業会会長として久米島駐屯海軍通信隊に食糧の補給を行った。20年3月26日アメリカ軍は慶良間列島に上陸、4月1日沖縄本島に上陸し、6月26日久米島にも上陸、敗北の混乱の中、久米島の日本軍通信隊長は不安と恐怖に戦く住民をスパイ容疑者として捕らえ、見せしめのためと、その妻子を含め20人(うち10人は8月15日以後)を惨殺、家もろとも焼き払った。吉浜は、当時の様子を日記に書き残したが、玉砕を唱えいきり立つ住民らに玉砕をいましめ、生き延びるための無抵抗主義を説き、何度か命を狙われた。22年9月赴任した具志川中学校校長は村民が語る「久米島虐殺記録」を、吉浜の同意を得て「吉浜日記」にまとめ同中学創立10周年記念誌に「本校の教育を育てるもの・久米島の戦争記」として掲載、46年6月号の「世界」に転載された。
- 没年月日
- 昭和32年1月18日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
吉浜 智改
ヨシハマ チカイ
昭和期の農業者 久米島農業会会長;具志川村(沖縄県島尻郡)村長。 久米島虐殺事件の記録者。
- 生年
- 明治18(1885)年9月2日
- 没年
- 昭和32(1957)年1月18日
- 出生地
- 沖縄県久米島具志川村
- 経歴
- 朝鮮駐屯軍の憲兵軍曹として3年間軍務につき、昭和7年具志川村長。戦時中は村の農業会会長として久米島駐屯海軍通信隊に食糧の補給を行った。20年3月26日アメリカ軍は慶良間列島に上陸、4月1日沖縄本島に上陸し、6月26日久米島にも上陸、敗北の混乱の中、久米島の日本軍通信隊長は不安と恐怖に戦く住民をスパイ容疑者として捕らえ、見せしめのためと、その妻子を含め20人(うち10人は8月15日以後)を惨殺、家もろとも焼き払った。吉浜は、当時の様子を日記に書き残したが、玉砕を唱えいきり立つ住民らをいましめ、生き延びるための無抵抗主義を説き、何度か命を狙われた。22年9月赴任した具志川中学校校長は村民が語る「久米島虐殺記録」を、吉浜の同意を得て「吉浜日記」にまとめ同中学創立10周年記念誌に「本校の教育を育てるもの・久米島の戦争記」として掲載、46年6月号の「世界」に転載された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
吉浜智改 よしはま-ちかい
1885-1957 昭和時代の沖縄県久米島具志川村民。
明治18年9月2日生まれ。生地具志川村の村長をへて農業会会長をしていた昭和20年6月26日アメリカ軍が久米島に上陸。この際,日本軍が住民20人を殺した「久米島虐殺事件」の様子を日記にのこす。32年具志川中学校長の仲間智秀が「吉浜日記」や当時の記録をまとめて発表,46年6月号の「世界」に転載された。昭和32年1月18日死去。71歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
吉浜 智改 (よしはま ちかい)
生年月日:1885年9月2日
昭和時代の沖縄県久米島具志川村民。久米島農業会会長;具志川村(沖縄県島尻郡)村長
1957年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報