吉田村・吉田保(読み)よしだむら・よしだほ

日本歴史地名大系 「吉田村・吉田保」の解説

吉田村・吉田保
よしだむら・よしだほ

現小倉南区吉田地区に比定される。吉田郷・吉田庄ともみえる。もとは豊前国の公領で、南北朝末期まで豊前国衙との関係がうかがえる(明徳四年八月二五日「大内義弘袖判条々事書」興隆寺文書/山口県史 史料編中世三)。文永九年(一二七二)一〇月九日の門司六ヶ郷惣田数注文写(甲宗神社文書/鎌倉遺文一五)には吉志きし郷名田として吉田一町九段三〇代とみえる。郷内には元倉畑・稗畑ひえはた沼尻ぬまじり(沼田)・円塚・大サウキ・塩浜などの地名今倉いまくら名・田中たなか名などの名がみえる(元徳二年一〇月一一日「武藤崇観寄進状」・元弘四年正月二五日「武藤崇観寄進状」平野文書/福岡県史資料一〇など)。うち稗畑は上吉田に、沼尻(沼田)は現小倉南区ぬまと吉田の境界付近に比定され、田中名は上吉田の小字として確認される。塩浜は「吉田村八幡宮敷地塩浜」とあるので(貞和三年三月九日「某重家下知状」同文書/南北朝遺文(九州編)二)、現下吉田のうちか。鎌倉末期武藤氏当地に土着し、開発・私領化。武藤氏系図(多田神社文書/川西市史)の頼宗の記事に「豊前国吉田村地(頭)開発本領」とみえる。しかし惣領武藤頼村が建武元年(一三三四)七月の旧幕府勢力規矩高政の反乱に与同すると、その咎により武藤氏は当地を没収された。早くから建武政権にくみした弟頼景(宗智)軍忠の賞として兄頼村没収分の「重代本領豊前国吉田村惣領職」の給付を訴えたが、結局認められなかったらしい(建武二年閏一〇月日「武藤宗智申状写」同文書/南北朝遺文(九州編)一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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