吉田重賢(読み)よしだ しげかた

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田重賢」の解説

吉田重賢 よしだ-しげかた

1463-1543 室町-戦国時代の弓術家。
寛正(かんしょう)4年生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)佐々木氏の一族で,蒲生(がもう)郡にすみ,守護六角(ろっかく)氏につかえた。明応のころ日置(へき)流の祖,日置正次からその秘技を伝授され,吉田流をひらいた。天文(てんぶん)12年4月3日死去。81歳。別名に重長,茂長通称は上野介。号は道宝。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の吉田重賢の言及

【弓道】より

…すなわち15世紀末,日本弓術中興の祖と称される日置(へき)弾正正次が出るにおよび歩射射術が確立し,下級武士や大衆のあいだに広く伝播したのである。正次の日置流はその後吉田重賢の吉田流にすべて受け継がれ,さらに出雲(いずも)派,雪荷(せつか)派,道雪(どうせつ)派,印西(いんさい)派,大蔵(おおくら)派などに分派し,各派からは優秀な射手が輩出し技を競った。また日置流傍系で吉田流の影響を強く受けた竹林(ちくりん)派は尾州,紀州両藩でおおいに繁栄し,とくに江戸時代の通し矢競技にその技を競った。…

【日置弾正正次】より

…59歳で没したが,その終焉の地は高野山,近江,伊賀など諸説ある。正次の打ち立てた革新の射のすべては吉田重賢(吉田流の祖)・重政父子に受け継がれ,後に全国に分流分派していった。【入江 康平】。…

※「吉田重賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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