日本大百科全書(ニッポニカ) 「レギオモンタヌス」の意味・わかりやすい解説
レギオモンタヌス
れぎおもんたぬす
Regiomontanus
(1436―1476)
ドイツの天文学者。ヨーロッパ最初の天文台の建設者。本名はミュラーJohannes Müllerであるが、生地のケーニヒスベルクのラテン語名であるレギオモンタヌスが通称としてよく知られる。1452年ウィーン大学に赴き、ポイエルバハの下でプトレマイオスの天文学を学んだ。1461年恩師の没後ローマに留学、ギリシア語を修めて、『アルマゲスト』原典のラテン語訳を果たし、1464年にパドバ大学、1467年にブダペスト宮廷で講義を行い、この間に正弦表を計算し公刊した。1471年ニュルンベルクにヨーロッパ最初の天文台を建設し、新天文観測器を製作し、新観測法を考案して、大航海時代の進展に寄与した。すなわち1474年『天体位置推算表』を公刊して、遠洋航海者に配布し、また恒星と月との角距離による時刻比較法を指示して、洋上経度の決定を可能にした。1472年ハリー彗星(すいせい)の出現に際して、その位置変化を追跡して、それが天体であることを認定した。1475年ローマ教皇庁に招かれ、教会暦の改暦審議に参加した。
[島村福太郎]