吉竹村(読み)よしたけむら

日本歴史地名大系 「吉竹村」の解説

吉竹村
よしたけむら

[現在地名]小松市吉竹町

北東は若杉わかすぎ村、北西打越うちこし村、東端山地に式内社の幡生はたさや神社がある。中世には吉武と記される。「蔭涼軒日録」文明一九年(一四八七)五月二一日条によれば、京都南禅寺帰雲院は、上乗庵領吉武村が一族飯尾四郎の被官人浅見氏の違乱を受けていることを訴えており、室町幕府奉行人飯尾清房は成敗することを約している。同書同年一〇月二日条・三日条によれば、上乗庵主崇賀が当村代官職について、京都相国しようこく寺蔭涼軒主亀泉集証に対し幕府への助言を求めている。天文五年(一五三六)一〇月帰雲院は本願寺に当村の年貢納入について在地の真宗寺院本光ほんこう寺への口添えを依頼した。


吉竹村
よしたけむら

[現在地名]大刀洗町菅野すがの

筑後川支流の小石原こいしわら川下流右岸に位置し、南は下川げかわ村に接する。文禄四年(一五九五)一二月一日の小早川秀俊充行知行方目録(星野家文書)では「ゑと村 よし竹村」の八三一石余など二千一〇〇石が星野実信の領知。寛文十年寺社開基に吉竹村とみえる。本高は四七石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高五〇石・役高六八石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高六九石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田一町八反余・畑田二町余・畑一町九反余・居屋敷七畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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