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吉良仁吉 きらの にきち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉良仁吉 きらの-にきち

1839-1866 幕末の侠客(きょうかく)。
天保(てんぽう)10年生まれ。郷里の三河(愛知県)吉良に勢力をはる。荒神山の喧嘩(けんか)のとき,義兄弟神戸長吉(かんべの-ながきち)に加勢。清水次郎長一家の応援をえて穴太徳(あのうとく)勢になぐりこんだが傷つき,慶応2年4月8日死亡。28歳。義理に殉じた男の典型として講談で紹介され,庶民の人気者となった。姓は太田。

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朝日日本歴史人物事典の解説

吉良仁吉

没年:慶応2.4.8(1866.5.22)
生年:天保10(1839)
幕末の侠客。本名太田仁吉。三河(愛知県)の寺津一家3代目。初代治助のもとで清水次郎長が修業して以来,清水と寺津は同盟関係にあり,2代間之助のとき寺津は清水一家の前進基地になる。ここから荒神山の喧嘩の際には伊勢制圧の艦隊も出ている。仁吉は草相撲の大関をはった大男で,度胸がよく,御油玉吉,神戸長吉と並んで「三吉」と称され,雲風亀吉一家との平井村の役(1864年)にも加わっている。慶応2(1866)年,神戸長吉との縁で荒神山の喧嘩の助勢を頼まれ,穴太徳,黒駒勝蔵,雲風連合の博徒集団に対し清水勢22名を率いて斬り込み,鉄砲で撃たれて絶命。鈴鹿の荒神山は春日局縁故の神社として栄え,「千両かすりの賭場」として知られていた。少数をもって多数に斬り込み勇名をはせ,清竜という講釈師を戦場レポーターとして実戦参加させるなど,清水・寺津連合は伊勢制圧を周到に準備していた。妻が穴太徳の妹で,泣いて離縁したのち荒神山に向かったというのは創作。その年,仁吉28歳,独身だった。<著作>天田愚庵『東海遊侠伝』

(平岡正明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

きらのにきち【吉良仁吉】

1839~1865) 江戸後期の俠客。三河国吉良の人。本名、太田仁吉。義に殉じるため妻を離別して荒神山の争いで斬られる。のち講談・浪曲などで庶民の人気者となった。

出典|三省堂
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