吉行エイスケ(読み)よしゆきエイスケ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉行エイスケ」の意味・わかりやすい解説

吉行エイスケ
よしゆきエイスケ

[生]1906.5.10. 岡山
[没]1940.7.8. 東京
小説家本名,栄助。岡山第一中学校時代アナーキズムの影響を受け,思想問題中退。 1930年新興芸術派結成に参加。『女百貨店』 (1930) などきらびやかな意匠の作品でモダニズムの代表作家と目されたが,同派凋落とともに筆を断った。作家吉行淳之介の父。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉行エイスケ」の解説

吉行エイスケ よしゆき-エイスケ

1906-1940 昭和時代前期の小説家。
明治39年5月10日生まれ。吉行淳之介・和子・理恵の父。岡山第一中学を中退して上京,昭和5年新興芸術派倶楽部(クラブ)の結成にくわわる。「女百貨店」「新種族ノラ」などをかき,ダダイズムとモダニズムの典型とされた。のち株屋となる。昭和15年7月8日死去。35歳。岡山県出身。本名は栄助。

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世界大百科事典(旧版)内の吉行エイスケの言及

【軽演劇】より

…こうして軽演劇は,東京全域に客層を広げ,既成のマジメ演劇のパロディを試み,新宿ではサラリーマン,学生,文士などの客層をつかみ,浅草では労働者層のファンを獲得した。〈ムーラン〉の作家陣は,初期には吉行エイスケ(1906‐40),楢崎勤,竜胆寺雄(りゆうたんじゆう)らが参画,のちに伊馬鵜平(のち伊馬春部(いまはるべ)),斎藤豊吉,山田寿夫,穂積純太郎,小崎政房,横倉辰次,阿木翁助(あぎおうすけ)らが加わった。俳優では竹久千恵子,水町庸子,外崎恵美子,沢村い紀雄らが参加,伊馬の《桐の木横町》,阿木の《女中あい史》(《女工哀史》のもじり)など,軽いユーモアと皮肉をまじえたタッチで,劇中に世相を巧みに織りこんだ。…

※「吉行エイスケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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