吉行エイスケ(読み)ヨシユキ エイスケ

20世紀日本人名事典 「吉行エイスケ」の解説

吉行 エイスケ
ヨシユキ エイスケ

昭和期の小説家



生年
明治39(1906)年5月10日

没年
昭和15(1940)年7月8日

出生地
岡山県金川町(現・御津町)

本名
吉行 栄助

学歴〔年〕
岡山一中中退

経歴
岡山一中入学後アナキズム、ダダイズム影響を受け、思想問題で4年次で中退し、大正11年上京する。13年「売恥醜文」を創刊、ついで「虚無思想研究」「近代生活」などに参加し、昭和5年新興芸術派倶楽部の結成に参加。4年発表の「孟賁燧銃隊」で認められ、5年「女百貨店」「新種族ノラ」を刊行、“新社会派”を提唱した。27歳で文学に見きりをつけ、兜町で株屋を営むが失敗。他の著書に「新しき上海のプライベイト」「吉行エイスケ作品集」(全2巻 冬樹社)がある。平成9年NHK連続テレビ小説「あぐり」で脚光を浴び、20年ぶりに作品集が刊行される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉行エイスケ」の意味・わかりやすい解説

吉行エイスケ
よしゆきエイスケ

[生]1906.5.10. 岡山
[没]1940.7.8. 東京
小説家。本名,栄助。岡山第一中学校時代アナーキズムの影響を受け,思想問題で中退。 1930年新興芸術派の結成に参加。『女百貨店』 (1930) などきらびやかな意匠の作品でモダニズムの代表作家と目されたが,同派凋落とともに筆を断った。作家吉行淳之介の父。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉行エイスケ」の解説

吉行エイスケ よしゆき-エイスケ

1906-1940 昭和時代前期の小説家。
明治39年5月10日生まれ。吉行淳之介・和子・理恵の父。岡山第一中学を中退して上京,昭和5年新興芸術派倶楽部(クラブ)の結成にくわわる。「女百貨店」「新種族ノラ」などをかき,ダダイズムとモダニズムの典型とされた。のち株屋となる。昭和15年7月8日死去。35歳。岡山県出身。本名は栄助。

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367日誕生日大事典 「吉行エイスケ」の解説

吉行 エイスケ (よしゆき えいすけ)

生年月日:1906年5月10日
昭和時代の小説家
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉行エイスケの言及

【軽演劇】より

…こうして軽演劇は,東京全域に客層を広げ,既成のマジメ演劇のパロディを試み,新宿ではサラリーマン,学生,文士などの客層をつかみ,浅草では労働者層のファンを獲得した。〈ムーラン〉の作家陣は,初期には吉行エイスケ(1906‐40),楢崎勤,竜胆寺雄(りゆうたんじゆう)らが参画,のちに伊馬鵜平(のち伊馬春部(いまはるべ)),斎藤豊吉,山田寿夫,穂積純太郎,小崎政房,横倉辰次,阿木翁助(あぎおうすけ)らが加わった。俳優では竹久千恵子,水町庸子,外崎恵美子,沢村い紀雄らが参加,伊馬の《桐の木横町》,阿木の《女中あい史》(《女工哀史》のもじり)など,軽いユーモアと皮肉をまじえたタッチで,劇中に世相を巧みに織りこんだ。…

※「吉行エイスケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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