向井千秋(読み)むかいちあき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「向井千秋」の意味・わかりやすい解説

向井千秋
むかいちあき
(1952― )

宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))に所属していた宇宙飛行士。群馬県館林(たてばやし)市生まれ。旧姓内藤。日本初の女性宇宙飛行士。1977年(昭和52)慶応義塾大学医学部卒業、1988年同大学医学博士号取得。1977年より同大学医学部外科学教室医局員として、大学や病院での診療に従事。同大学医学部外科学教室助手を務めていた1985年8月、宇宙開発事業団NASDA(ナスダ)。現、JAXA)のペイロードスペシャリスト搭乗科学技術者、PS)に、毛利衛(もうりまもる)、土井隆雄(どいたかお)とともに選ばれる。同年11月NASDAに入社。1987年6月~1988年12月、NASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)ジョンソン宇宙センターの宇宙生物医学研究室にて心臓血管生理学の研究に従事。1992年(平成4)に実施された第一次材料実験(FMPT=ふわっと'92)では、バックアップPSとしてNASAマーシャル宇宙飛行センターで地上支援を行う。同年、ヒューストンのベイラー大学非常勤講師、慶応義塾大学医学部外科学客員講師となる。1994年7月、スペースシャトル「コロンビア号」にPSとして搭乗。第二次国際微小重力実験室(IML-2)計画が実施され、微小重力科学分野、ライフサイエンス分野、宇宙医学分野などに関する82のテーマの実験を行った。また1998年10月、再度PSとして「ディスカバリー号」に搭乗。1962年2月に初の地球3周飛行を成功させたグレンJohn H. Glenn(1921―2016)らとともに無重量下での免疫筋力睡眠低下など、宇宙環境での老化の研究を行った。2004年(平成16)9月より2007年9月までフランスのストラスブールにある国際宇宙大学の客員教授。2007年10月JAXA有人宇宙技術部宇宙医学生物学研究室室長に就任した。2012年7月、JAXA宇宙医学研究センター長に就任。2014年2月には宇宙開発利用部会国際宇宙ステーション・国際宇宙探査小委員会委員に就任した。また、同年、日本学術会議副会長、東京理科大学特任教授にそれぞれ就任し、翌2015年4月には東京理科大学副学長に就任した。2017年に東京理科大学のスペース・コロニー研究センター長に就任。2021年(令和3)、東京理科大学のスペースシステム創造研究センター開設に伴う組織変更により、スペース・コロニーユニットのユニット長に就任。

[山本将史 2022年7月21日]

『NHK出版編『向井千秋の宇宙と体のおもしろい関係』(1995・日本放送出版協会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「向井千秋」の解説

向井千秋 むかい-ちあき

1952- 昭和後期-平成時代の宇宙飛行士。
昭和27年5月6日生まれ。心臓血管外科医。慶大助手をへて,昭和60年搭乗科学技術者(PS)にえらばれ,宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構,JAXA)職員となる。平成4年スペースシャトルによる第2次国際微小重力実験室の首位PSにえらばれる。6年スペースシャトル「コロンビア」に搭乗,14日17時間55分の宇宙滞在を記録。10年「ディスカバリー」で2度目の宇宙飛行を経験した。群馬県出身。慶大卒。旧姓は内藤。

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