向山慎吉(読み)ムコウヤマ シンキチ

20世紀日本人名事典 「向山慎吉」の解説

向山 慎吉
ムコウヤマ シンキチ

明治期の海軍中将,男爵



生年
嘉永6年(1853年)

没年
明治43(1910)年12月18日

出身地
駿河国(静岡県)

旧姓(旧名)
一色

学歴〔年〕
海兵〔明治12年〕卒

経歴
講武所頭取などを務めた幕臣・一色全翁(半左衛門)の第三子に生まれ、従兄の幕臣・向山黄村(栄五郎)の養子となる。明治5年沼津兵学校に入り、同年上京して海軍兵学寮に転じた。西南戦争では軍艦筑波に乗り参戦。15年海軍少尉となる。18〜19年高千穂回航のため英国へ出張し、24年少佐に進む。27年日清戦争開戦に先立ち旗艦松島の副長となり海軍陸戦隊指揮官として特命全権公使・大鳥圭介を護衛するなどの役割を果たし、のち龍田艦長として出征。28年大佐となり、筑紫高雄・秋津州の艦長を経て、30年英国公使館付兼造船造兵監督官を務める。32年帰国し浅間・敷島艦長、33年横須賀鎮守府参謀長を務め、34年少将。日露戦争中は36年から舞鶴海軍工廠長、38年佐世保海軍工廠長。のち佐世保港内に沈没した三笠の引き上げに成功した。同年年中将、39年男爵となり、41年竹敷要港部司令官に就任。42年待命となり、43年現役を退いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「向山慎吉」の解説

向山慎吉 むこうやま-しんきち

1856-1910 明治時代の軍人
安政3年9月14日生まれ。向山黄村の養子。日清(にっしん)戦争では旗艦松島の副長,竜田艦長。日露戦争中は舞鶴,佐世保の海軍工廠(こうしょう)長。のち佐世保港内に沈没した三笠の引きあげに成功した。海軍中将。明治43年12月18日死去。55歳。海軍兵学校卒。本姓は一色。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android