北海道中央部にある都市。1906年(明治39)市来知(いちきしり)、幌内(ほろない)、幾春別(いくしゅんべつ)の3村が合併して三笠山村となり、1942年(昭和17)町制施行して三笠町と改称。1957年(昭和32)市制施行。町名は市来知にある三笠山から命名。夕張(ゆうばり)山地から流れ石狩(いしかり)川に合流する幾春別川の河谷を占める。市西部の岩見沢、美唄(びばい)両市との境界付近をJR函館(はこだて)本線と国道12号が並行し、市内には国道452号が通じ、道央自動車道三笠インターチェンジがある。JR幌内線は1987年廃止。1879年(明治12)石狩炭田最古の幌内炭鉱が開坑、1882年には小樽(おたる)の手宮(てみや)との間に鉄道が開通。一方、炭鉱労働に従事する囚人を収容した空知集治監(そらちしゅうちかん)が設置され、所在地の市来知は中心地として発展、廃監の明治後期まで続いた。幾春別、奔別(ほんべつ)、唐松(とうまつ)、弥生(やよい)にも炭鉱が開かれ、幾春別川沿岸に炭鉱集落が並び、市制施行当時は人口6万を超えた。その後、石炭不況による閉山が続き、1989年(平成1)の幌内炭鉱閉山を最後に姿を消し、人口も激減した。幾春別川上流の多目的ダムの桂沢湖(かつらざわこ)は三笠ほか周辺都市に電力、用水を供給するほか、観光地ともなっている。市来知の東方には新市街が形成されて本市の中心をなし、市来知とその西の岡山はタマネギ中心の農業地帯で、国道12号沿いの岡山には工業団地が造成され、食品、機械、建設などの企業誘致にも成功している。エゾミカサリュウの化石は国指定天然記念物で、市立博物館に収蔵されている。鉄道遺産を保存する三笠鉄道記念館がある。面積302.52平方キロメートル、人口8040(2020)。
[柏村一郎]
『『三笠市史』(1971・三笠市)』
日露戦争における連合艦隊の旗艦。東郷平八郎司令長官が座乗して黄海海戦(1904)、日本海海戦(1905)の先頭艦として戦った。1902年イギリス、ビッカーズ造船所で完工。常備排水量1万5140トン、速力18ノット、30センチ主砲4門、15センチ副砲14門を備え、当時世界第一級の戦艦であった。日本海海戦の大勝利により世界にその名を知られるようになり、ワシントン軍縮条約で戦艦の保有量が制限された際にも、三笠は制限外の艦として保全が認められた。1926年(大正15)神奈川県横須賀(よこすか)に記念艦として永久保存されることになり、第二次世界大戦後は一時ダンスホールになるなどの変転もあったが、61年(昭和36)復原。現在は防衛省の所管、三笠保存会運営で一般に公開されている。
[前田哲男]
北海道中央部,空知地方南部の市。1957年市制。人口1万0221(2010)。夕張山地西部に位置し,石狩川の支流幾春別(いくしゆんべつ)川上・中流域を占め,西は岩見沢市に接する。中心市街は幾春別川と幌内(ほろない)川合流点の河岸段丘上に広がる。石狩炭田発祥の地で,1879年官営幌内炭鉱が開坑,82年小樽港へ石炭を運ぶため手宮~幌内間に幌内鉄道が開通した。同年空知集治監が設置され,囚人が採炭作業に使われた。その後,幾春別,奔別(ほんべつ),唐松(とうまつ),弥生などの炭鉱が開坑し,第2次大戦後の最盛期には出炭量290万tに及んだが,55年以降の炭鉱合理化,爆発事故により閉山し,最後の幌内炭鉱も89年閉山した。87年道央自動車道が開通し,木工,食品工場のほか電気機器工場も進出している。幾春別川下流の平野ではタマネギ,メロン栽培が盛んである。上流域にはアンモナイト化石が多く,76年大型肉食爬虫類のエゾミカサリュウ化石(天)も発掘された。人工湖の桂沢湖は富良野芦別道立自然公園に含まれ,湖畔に桂沢温泉(単純硫黄泉,13℃)がある。88年には観光農場〈サンファーム三笠〉(現在は道の駅三笠のうち)を開園するなど,観光開発も進めている。道央自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:山下 克彦
日露戦争において,連合艦隊旗艦として活躍した日本の軍艦。1905年5月27~28日の日本海海戦において,ロシアのバルチック艦隊を破り,司令長官東郷平八郎の名とともに世界的に有名になった。イギリスのビッカーズ社で建造され,1900年に進水,02年に完成した。常備排水量1万5140トン,全長122m,30cm主砲4門,15cm副砲14門を装備し,速力18ノットであり,当時としては世界最大最強の戦艦であった。
1921年のワシントン軍縮条約の結果,廃艦になるところであったが,国民的記念艦として横須賀港に永久保存されることになり,26年11月に記念艦〈三笠〉として落成した。第2次世界大戦後アメリカ軍に接収され,兵装の撤去,上部構造の解体が行われ,荒廃のままに放置されたが,56年に再建運動が興り,61年5月27日に記念艦〈三笠〉として復活した。
執筆者:本多 一郎
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…しかし,大都市大阪に近いことや県北にかたよっていることもあって,主として地元の人々や観光客を相手にする商店が多く,その商圏は県都の商店街としては狭い。観光地としては1950年国際文化観光都市に指定され,56年には古都保存法が適用されて発展し,1950~60年代にかけて若草山,高円(たかまど)山の両ドライブウェーが開設され,三笠温泉(炭酸泉,15℃),ドリームランドなど新しい観光施設が建設された。観光の中心は東大寺,興福寺,春日大社をはじめ,奈良国立博物館,万葉植物園,県立美術館などが設けられた奈良公園,若草山一帯である。…
※「三笠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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