20世紀日本人名事典 「和田信賢」の解説
和田 信賢
ワダ ノブカタ
昭和期のアナウンサー
- 生年
- 明治45(1912)年6月19日
- 没年
- 昭和27(1952)年8月14日
- 出生地
- 東京市神田区(現・東京都千代田区)
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学史学科〔昭和10年〕卒
- 経歴
- 早大在学中の昭和9年NHKに入り、のち実況・スポーツ中継、司会などにラジオ放送の新境地を開拓、不世出の名アナウンサーとされた。特に相撲中継で鳴らし、14年に大相撲の双葉山が安芸ノ海に敗れて70連勝を逸した大勝負中継中の「70連勝なるか、70は古稀、古来稀なり…」の美文調名調子で知られる。アナウンス課長を経て、20年8月15日のポツダム宣言受諾の放送(玉音放送)を最後に退職。その後は嘱託として22年から「話の泉」を司会(のち高橋圭三アナと交代)し、初のラジオ小説「三四郎」のナレーションなどを務めた。27年のヘルシンキ五輪に派遣されての帰途、病を得てパリで客死した。著書に「放送ばなし」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報