和田宿(読み)わだしゆく

日本歴史地名大系 「和田宿」の解説

和田宿
わだしゆく

[現在地名]和田村上和田

和田村の中山道沿いにある近世宿駅。宿駅の設定を「小県郡史」は「慶長七年中山道開路の際、散在せる人戸を集合して之を創む。戸数百数十軒」という。

中世末からの中町下町に加えて、雨原あめばら細尾ほそお鍛冶足かじあし久保くぼなどの住民を移して上町を形成し三町で宿を構成したが、正徳三年(一七一三)宿北の追川橋から八幡林までに橋場新田を作り宿場を拡大した(和田村誌)

和田宿
わだじゆく

[現在地名]河辺町和田

式田宮崎しきたみやざき村にあった羽州街道の宿駅。久保田くぼた城下より三里二〇町二二間、淀川よどがわへ三里一〇町四三間(六郡郡邑記)。天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に「弐百四拾弐石四斗八升弐合 鮎川村・わた村」とあり、中世末には村として成立していた。

近世に入って戸島としま村(野田高屋のだこうや村の戸島宿)とともに宿駅となり、月のうち上一五日は戸島宿が、下一五日は和田宿が駅務をつとめる定めであった(秋田風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「和田宿」の解説

和田宿

(長野県飯田市)
信州の民家・街並百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の和田宿の言及

【高崎[市]】より

…古くは赤坂の庄といわれ,鎌倉時代以後は和田氏の居城の地であった。また鎌倉街道に沿う要地でもあり,和田宿と呼ばれていた。1590年(天正18)小田原落城とともに和田氏は滅亡し廃城。…

※「和田宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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