日本歴史地名大系 「和田島村」の解説 和田島村わだじまむら 徳島県:小松島市和田島村[現在地名]小松島市和田島町間(あい)新田の北に位置し、海に突き出した半島状の地勢となっている。間新田の間をかつて那賀(なか)川の分流路の一であったとされる太田(おおた)川が流れる。近世は初め那東(なとう)郡、のち那賀郡のうち。慶長年間(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「はた」とみえ、半島状の根元に入江が深く入り込んでいる。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「はた嶋」と記される。寛永一一年の役人帳(小松島市役所坂野支所蔵)では本百姓の久右衛門と弟および名子で一人役、本百姓善吉は親類と二人で八歩、間人の加左衛門は一人で三歩を負担している。 和田島村わだしまむら 静岡県:清水市旧庵原郡地区和田島村[現在地名]清水市和田島清地(きよじ)村の西、興津(おきつ)川上流域に位置し、北は中河内(なかごうち)村に接している。南は茂畑(もばた)村など。江戸時代の領主の変遷は但沼(ただぬま)村に同じ。元禄郷帳では高五七石余。助郷は東海道興津宿へ出役(興津宿助郷帳)。明和年間(一七六四―七二)、甲州市川(いちかわ)(現山梨県市川大門町)の紙漉人が来村し、三椏を原料とした和紙生産を始めたといい(駿河志料)、江戸では和田島紙の銘柄で通じたといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by