和田津新田(読み)わだつしんでん

日本歴史地名大系 「和田津新田」の解説

和田津新田
わだつしんでん

[現在地名]小松島市和田津開町わだつびらきちよう赤石町あかいしちよう

坂野さかの村の北に位置する。近世那賀なか郡のうち。栗本くりもと新田とも称し、開発の順に元開もとばり中開なかばり西開にしばりといわれる。西の金磯かないそ新田、東の和田島わだじま村に挟まれた一帯は砂洲が広がり、坂野村豊浦とようら浜の北側は干潟あるいは遠浅の海岸であった。元禄八年(一六九五)この干潟の開発を徳島藩士の佐藤儀右衛門らが連印で橋本大五郎に委任し、囲堤による二〇町の新田を計画しているが、当時田地五町がみられ、すでに開発の手が入っていたことが知られる。同一三年には坂野村の弥兵衛小松島浦の助右衛門(金磯新田を開く多田家)が当地の開発を請け、その新開堤は東が弥兵衛分、西の助右衛門分で、ともに長さ二二〇間ほど、土台四―七間、高さ一丈の規模で造築したが(「新開奉願囲堤仕様申上覚」栗本家文書)、宝永四年(一七〇七)に地震とそれに伴う津波によりこれらの堤が大破、単なる干潟に復してしまったという。これ以前とされる絵図では東部に坂野村弥兵衛新田、西部に小松島浦助右衛門新田と記載され、これらの周囲には干潟や塩原(塩田)・鳥打原などがあったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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