日本歴史地名大系 「坂野村」の解説 坂野村さかのむら 徳島県:小松島市坂野村[現在地名]小松島市坂野町大林(おおはやし)村の東に位置し、北部には砂洲地を開いた和田津(わだつ)新田や間(あい)新田が続く。「和名抄」に記す那賀(なか)郡坂野郷の遺称地とされ、中世は坂野新庄などとみえる。近世は初め那東(なとう)郡、のち那賀郡のうち。地内に大葉氏の拠った大葉(おおば)城があったと伝える(古城諸将記)。慶長二年(一五九七)の分限帳に「坂野村」などとあり、高三一二石余が蜂須賀彦次郎、高二八八石余が山崎六郎右衛門、高二〇〇石余が井村清左衛門、高一七五石が中野藤左衛門、高一七五石余が益田彦四郎、高一五〇石余が島新八郎、高一四三石余が柘植平左衛門、高一〇〇石余が立原弥平次、高一〇〇石余が武藤長次郎、高一〇〇石余が辻喜七、高一〇〇石余が和田新右衛門、高一〇〇石余が益田弥次左衛門、高九七石余が津田勝三郎、高九七石余が堀才蔵、高四三石余が吉原次右衛門、高四〇石余が太田彦六、高三八石余が坪内久右衛門、高三七石余が赤川喜太郎、高三斗余が稲田又八郎の知行分。 坂野村さかのむら 兵庫県:出石郡但東町坂野村[現在地名]但東町坂野虫生(むしゆう)村の西、高竜寺(こうりゆうじ)ヶ岳(六九六・七メートル)南東麓の谷間に開かれる。南は中山(なかやま)村、南西は西野々(にしのの)村。太田市場(おおたいちば)村で出石・宮津道(丹後道)から分れ、西野々村・高竜寺村を経て当地から虫生村へ抜け、同所で再び出石・宮津道に合流する脇道が通る。この道がかつての丹後道であったという。近世の領主の変遷は水石(みずし)村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高六九石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by