中国の唐で使用された尺度。日本では大宝律令(701)の度量衡規制に大・小尺の制を定め,高麗尺(こまじやく)を大尺,唐尺を小尺とし,小尺(常用尺)の1.2倍を大尺(測地尺)と規定した。668年(天智7)の船王後墓誌(ふねのおうごのぼし)は唐尺の使用年代の上限とされるが,四天王寺(7世紀前半),前期難波宮(7世紀中ごろ),川原寺(7世紀後半)の造営には唐尺の使用も認められ,7世紀を通して高麗尺,唐尺の両様を使い分けたらしい。平城遷都後の713年(和銅6)に大尺を廃して小尺に統一された。天平年間に使用された唐尺は天平尺と呼ばれる。正倉院所蔵の尺や現存建物,平城宮発掘遺構の計測値から唐尺の実寸法を求めると,8世紀初めには9.72寸であったが同末期には9.90寸と,漸次伸びる傾向を示す。平安時代は現尺に近く,鎌倉時代には1尺につき0.8%ほどの伸びが認められ,以後はしだいに縮小し,近世にいたって現尺に固定する。
執筆者:宮本 長二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…701年(大宝1)の大宝律令には度量衡規制を明文化し,大・小尺を制定する。大尺はいわゆる東魏尺にあたる高麗尺で,小尺とされた唐尺の1.2倍の長さをもち,大・小尺をそれぞれ測地と常用の二様に使い分けることを規定している。平城遷都後の713年(和銅6)には高麗尺を廃止し,唐尺の一本建てになった。…
…長さに関する規定をみると,10分を1寸,10寸を1尺,1尺2寸を大尺1尺,10尺を1丈とする単位,進法であり,また土地の測量には大尺を使用し,他はすべて小尺を用いると見えるほか,関係官司には銅製の標準計器支給の条文も見えている。この大尺は高麗(こま)尺に,小尺は唐の大尺に相当し(唐尺),したがって大宝令制の尺は唐のそれと1対1.2の比で日本の尺のほうが長かったが,後,尺を唐制に一致させようとする動きがあり,そのため713年(和銅6)に大尺=唐大尺,小尺=唐小尺とし,唐制と一致することになった。しかし高麗尺は土地測量や土木工事などと密接に結びつくものであったため,その後も使用された。…
※「唐尺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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