尺度の一つ。日本では640年(舒明12)に初めて斗升斤両の制を定め(《扶桑略記》),尺度が法制化された。701年(大宝1)の大宝律令には度量衡規制を明文化し,大・小尺を制定する。大尺はいわゆる東魏尺にあたる高麗尺で,小尺とされた唐尺の1.2倍の長さをもち,大・小尺をそれぞれ測地と常用の二様に使い分けることを規定している。平城遷都後の713年(和銅6)には高麗尺を廃止し,唐尺の一本建てになった。6世紀末に造営が始まった飛鳥寺は高麗尺の完数値で設計され,法隆寺では部材寸法まで高麗尺を用いるなど,8世紀初めまで寺院,宮城の造営尺としても使用された。法隆寺金堂・塔や飛鳥・白鳳時代寺院遺構の計測寸法から復原される高麗尺の1尺には35.0~36.0cmのばらつきが認められる。
執筆者:宮本 長二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…法隆寺にみられるエンタシスのある太い柱,皿斗(さらと)つきの大斗(だいと),雲肘木(くもひじき)や三斗組(みつどぐみ),卍字崩高欄(まんじくずしこうらん)や人字形蟇股(にんじがたかえるまた)などは,中国の六朝~初唐の様式が高句麗や百済を経て伝えられたもので,《玉虫厨子》にみられる放射状に斗栱を出す構造とか,円垂木,隅扇垂木(すみおうぎだるき)のような細部もあり,様式は多様であった。造営の尺度は1尺=約35cmと長く,後に高麗尺(こまじやく)と呼ばれた。伽藍配置では飛鳥寺のような一塔三金堂式は高句麗以外ではみられず,四天王寺のように縦1列で回廊が中門から講堂にとりつく配置は百済にも例がある。…
…長さに関する規定をみると,10分を1寸,10寸を1尺,1尺2寸を大尺1尺,10尺を1丈とする単位,進法であり,また土地の測量には大尺を使用し,他はすべて小尺を用いると見えるほか,関係官司には銅製の標準計器支給の条文も見えている。この大尺は高麗(こま)尺に,小尺は唐の大尺に相当し(唐尺),したがって大宝令制の尺は唐のそれと1対1.2の比で日本の尺のほうが長かったが,後,尺を唐制に一致させようとする動きがあり,そのため713年(和銅6)に大尺=唐大尺,小尺=唐小尺とし,唐制と一致することになった。しかし高麗尺は土地測量や土木工事などと密接に結びつくものであったため,その後も使用された。…
※「高麗尺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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