日本歴史地名大系 「善敬寺」の解説 善敬寺ぜんきようじ 長野県:長野市吉田村善敬寺[現在地名]長野市吉田 本町真宗大谷派、山号は白鳥山。本尊は阿弥陀如来。吉田の中央にある。寺伝に永仁元年(一二九三)更級(さらしな)郡塩崎(しおざき)村(現長野市篠ノ井)の康楽(こうらく)寺開基西仏坊の子浄賀の二男浄蓮の開いた寺とある。「本願抄」の奥書に、<資料は省略されています>とあるように、応安四年(一三七一)本願寺宗昭(覚如)の著した「本願鈔」をその子存覚から書写して授与され、本願寺との関係が深かった。のちに本願寺光佐(顕如)が織田信長に抗し、摂津国石山に籠城の際、天正五年(一五七七)一〇月、信濃の本願寺末寺及び門徒らが兵粮米などを送ったうちに、「十俵壱斗 善教」とあり(「下間頼竜書状案」勝善寺文書)、善教寺とも記した。 善敬寺ぜんきようじ 愛知県:知立市池鯉鮒町善敬寺[現在地名]知立市西中町 永崎吹戸(ふきど)川と猿渡(さわたり)川とが合流する地点の東側中央部にある。真宗大谷派、信道山と号す。本尊阿弥陀如来。本証(ほんしよう)寺(現安城市)のもと末寺。もと信道山源徳(げんとく)寺という天台寺院であったが、嘉慶二年(一三八八)本願寺五世綽如から方便法身尊像を受け、真宗に改めたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by