日本歴史地名大系 「善源寺庄」の解説
善源寺庄
ぜんげんじのしよう
現都島区善源寺町付近にあった
南北朝動乱のなかで、多田院が当庄の支配を推進していくには多大の困難を伴った。観応元年(一三五〇)には、旧主の諏方三郎左衛門尉の代官が違乱をはたらき、多田院住持は足利直義に訴えてそれを停止してもらわねばならなかった(同年一二月一八日足利直義書下)。また貞治五年(一三六六)六月九日には、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報