四十九ガ原古戦場(読み)しじゆうくがはらこせんじよう

日本歴史地名大系 「四十九ガ原古戦場」の解説

四十九ガ原古戦場
しじゆうくがはらこせんじよう

[現在地名]山口市大字黒川

平野ひらのから陶峠すえがたおへの取付口にある四十九ガ原は、永禄一二年(一五六九)豊後の大友氏を後ろ盾とする大内輝弘軍勢と毛利元就の軍勢が戦った所。元就は陶晴賢を討ち、晴賢が擁立した大内義長を滅ぼして防長両国を略領。山陰尼子氏を降して中国地方の覇権を握り、織田・豊臣二氏と抗争の頃、元就は北九州に軍を進め大友氏の勢力下にある筑前立花たちばな(現福岡市)を攻めた。大内氏の滅亡後、義隆の従弟輝弘が大友氏を頼って豊後に来ていたので、大友氏は大内氏の再興口実に輝弘に軍勢を授けて大将に仕立て、毛利氏の後方を突くべく故国の山口に侵攻させた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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