四千両小判梅葉(読み)シセンリョウコバンノウメノハ

デジタル大辞泉 「四千両小判梅葉」の意味・読み・例文・類語

しせんりょうこばんのうめのは〔シセンリヤウこバンのうめのは〕【四千両小判梅葉】

歌舞伎狂言世話物。6幕。河竹黙阿弥作。明治18年(1885)東京千歳座初演。安政年間(1854~1860)の江戸城御金蔵破り事件脚色したもの。四千両

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「四千両小判梅葉」の意味・読み・例文・類語

しせんりょうこばんのうめのはシセンリャウ‥【四千両小判梅葉】

  1. 歌舞伎脚本。世話物。六幕。河竹黙阿彌作。明治一八年(一八八五)東京千歳座初演。幕末の江戸城内御金蔵破りの事件を脚色したもの。浪人藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵とが共謀して、御金蔵を破り、四千両を盗み出したが、後に捕われて死罪になるまでを描く。黙阿彌晩年の世話物の代表作で、特に牢内の場が珍しく、好評を博した。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「四千両小判梅葉」の意味・わかりやすい解説

四千両小判梅葉
しせんりょうこばんのうめのは

歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。6幕。河竹黙阿弥(もくあみ)作。通称「四千両」。1885年(明治18)11月、東京・千歳(ちとせ)座で、5世尾上(おのえ)菊五郎の富蔵、3世市川九蔵(くぞう)(後の7世団蔵)の藤十郎により初演。安政(あんせい)年間(1854~60)に実在した江戸城御金蔵破りの事件を脚色。野州無宿の富蔵が旧知の旗本浪人藤岡藤十郎と結んで、首尾よく城内から4000両を盗み出すが、やがて捕らえられて死罪になるまで。度胸のある富蔵と小心な藤十郎の対照的な性格が巧みに描かれ、2人が出会う序幕の「堀端」をはじめ、千両箱を盗んで持ち帰る「藤十郎内」、雪のなかを唐丸籠(とうまるかご)で送られる富蔵が妻子名残(なごり)を惜しむ「熊谷(くまがい)堤」など、それぞれ見どころがあるが、とくに富蔵が伝馬町大牢(てんまちょうおおろう)の二番役となり、遺恨ある悪党生馬(いきうま)の眼八(がんぱち)に仕返しする「牢内」の場は、もと代言人であった興行師田村成義の資料によって、江戸末期の大牢の風俗を写実的に描写、初演以来評判になっている。大正以後では6世尾上菊五郎の富蔵、初世中村吉右衛門(きちえもん)の藤十郎のコンビが有名だった。

[松井俊諭]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「四千両小判梅葉」の解説

四千両小判梅葉
しせんりょう こばんのうめのは

歌舞伎・浄瑠璃外題
作者
河竹黙阿弥
初演
明治18.12(東京・千歳座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の四千両小判梅葉の言及

【河竹黙阿弥】より

… 第4期は引退以後の10余年間で,今日復演される唯一の活歴劇《北条九代名家功》(1884)や,《水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)》(1885),《月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)》(花井お梅,1888)ほかの散切物,《茨木》(1883),《船弁慶》(1885),《紅葉狩》(1887)などの能取り所作事,《チャリネの曲馬》(1886),《スペンサーの風船乗》(1891)などの洋風所作事を書いた。しかしこの期の作でもいまなお復演に耐えるのはやはり《新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)》(1883),《四千両小判梅葉》(1885),《盲長屋梅加賀鳶》(1886)のような純江戸風世話物であった。絶筆は没したその月に上演された所作事《奴凧廓春風(やつこだこさとのはるかぜ)》(1893)。…

※「四千両小判梅葉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android