日本歴史地名大系 「四宮庄」の解説
四宮庄
しのみやのしよう
現長野市篠ノ井
四宮庄は、旧塩崎村の地籍図によると、
「吾妻鏡」文治四年(一一八八)二月二日条によれば、京都の諸家が所縁を頼り源頼朝に愁訴し、諸国の地頭らの不法乱行の禁止を請うものが多かったので、幕府は直接下知するもの以外の、所縁による私的な訴えは受理しないと述べており、その中に「右衛門佐御局 信濃国四宮庄地頭不進弁年貢并領家得分由事」とある。右衛門佐局は八条院の女房と考えられ、この頃八条院領であり、また当時この荘園に地頭が存在し、強勢を振るっていたことも想像される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報