四王寺(読み)しおうじ

日本歴史地名大系 「四王寺」の解説

四王寺
しおうじ

宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる四王寺山地の東部にあった寺。古代の大野城の城塞線である四つの尾根上に持国天じこくてん増長天ぞうちようてん広目天こうもくてん毘沙門天びしやもんてんとよばれている地域があり、堂宇礎石が点在し、「四王」の銘の入った文字瓦などが出ている。弘仁一一年(八二〇)三月四日、観世音寺(現太宰府市)に宛てた大宰府牒案(堂本四郎氏旧蔵文書/平安遺文一〇)によれば、「四王寺」の悔過を観世音寺講師に預掌させたことがみえる。「今件寺在大野城中」とあって、当寺が大野城に存在していたことが知られる。当寺は宝亀五年(七七四)三月三日の太政官符(類聚三代格)に、新羅呪詛に対抗するため大宰府に命じて「新羅国に直する高顕の浄地」(原漢文)に四天王像を祀らせたとあるのが始まりと考えられ、「扶桑略記」同年是歳条には「大宰府、四王院を起つ」(原漢文)とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報