大野城(読み)おおのじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大野城
おおのじょう

(1) 福岡県大野城市の大城 (おおのき) 山にある日本最初の山城。天智4 (665) 年,外寇から大宰府を守るために築いたもの。 (2) 福井県大野市にあり,織田信長の将金森長近天正3 (1575) 年に築いたもの。初め亀山城と呼んでいた。長近のあと青木秀以,織田秀雄,土屋昌明,小栗直高らが居城し,天和2 (1682) 年,土井利房の所領となって以来,明治まで 190年間在城。天守閣は 1968年復元。 (3) 和歌山県海南市の南大野部落の山中にあった山城。築城者もその年代も不明。 14世紀の中頃,細川宗茂がこの地方を領し,野瀬某を代官として居城させた。そののち,山名義理,平井豊後,畠山満国らが城主として守ったが,16世紀の末に豊臣秀吉の紀州討伐軍によって落城。

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デジタル大辞泉の解説

おおのじょう【大野城】[地名]

福岡県中西部の市。福岡市に隣接し、住宅地水城(みずき)跡・大野城跡がある。人口9.5万(2010)。

おおの‐じょう〔おほのジヤウ〕【大野城】

福岡県粕屋郡宇美町太宰府市大野城市にまたがる古代の山城。天智4年(665)大宰府の防衛のためにつくられた。

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百科事典マイペディアの解説

大野城【おおのじょう】

663年に白村江の戦で敗れた日本が,唐や新羅の侵略を恐れ大宰府の防衛を目的として築いた古代の朝鮮式山城のうちの一つで,国の特別史跡に指定。現在の福岡県宇美町,大野城市,太宰府市にまたがり,基肄城水城(みずき)とともに長城をなす。尾根上に約6kmにわたり土塁を築き,谷をまたぐ箇所には石塁が設けられた。城内には建物礎石が70棟ほど確認されている。城跡の一部は〈四王寺県民の森〉となり,憩いの場となっている。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおのじょう【大野城】

福岡県太宰府市と粕屋郡宇美町にまたがる通称四王寺山にある古代の朝鮮式山城。7世紀代における朝鮮半島の軍事的緊張のなかで,660年の百済滅亡と,それに続く663年の白村江における日本援軍の敗戦を背景として築造された。《日本書紀》によると天智天皇4年(665)の条に〈憶礼福留と四比福夫を筑紫国に遣わして大野城と椽(き)城(基肄(きい)城)を築いた〉とあり,水城(みずき)とともに大宰府の防衛網を形成した。

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大辞林 第三版の解説

おおのじょう【大野城】

福岡県西部の市。福岡市に隣接し、都市化が進む。四王寺山に大野城趾がある。

おおのじょう【大野城】

福岡県太宰府市、粕屋郡宇美町・大野城市にまたがる四王寺山にある古代の朝鮮式山城。665年大宰府の防備のために南側の基肄城きいじようとともに造られた。
地名(別項参照)。

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日本の城がわかる事典の解説

おおのじょう【大野城〈福井県〉】

福井県大野市にあった安土桃山時代の山城(やまじろ)。江戸時代には大野藩の藩庁が置かれた城である。大野市街近くの亀山(標高249m)に築かれていた。1573年(天正1)8月16日、戦国大名の朝倉義景は刀禰坂(とねざか)の戦いで織田信長に敗れ、一乗谷館・一乗谷城(福井市)を放棄し大野へ逃れたが、一族の朝倉景鏡の裏切りにより大野六坊の一つである賢松寺にて自刀した。こうして朝倉氏が滅ぼされたのち、その戦いで戦功により、大野市周辺を与えられた金森長近が1576年(天正4)に築いた城である。長近は小規模ながら大天守・小天守を持った堅固な大野城を築き、城下町をつくり上下水道を整備するなど、今日の大野市街の原形をつくった。信長の死後、北ノ庄城(福井市)を本拠とした柴田勝家と羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が対立し、賎ヶ岳の戦いが起こったが、その際、長近は勝家方として従軍した。戦後、長近は敵方であったものの秀吉から城と領地を安堵され、1586年(天正14)に飛騨高山(岐阜県)に転封した。その後、大野城には長谷川秀一、青木一矩、織田秀雄(信長の孫・信雄の長男)が入城し、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの後、大野一帯が福井藩の直轄領となったことから、福井城の支城となった。1624年(寛永1)には結城秀康三男の松平直政が5万石の大野藩の藩主として入城、その後、譜代や親藩の大名が城主となり、土井氏4万石の時代に明治維新を迎えた。この間、1775年(安永4)に火災により大天守・小天守などを失った。現在、城跡には1968年(昭和43)に建設された鉄筋コンクリート造の復興天守群と天狗櫓(てんぐやぐら)があるが、その石垣は当時のものである。また、城門2基が同市内の光明寺および真乗寺に山門として移築され現存している。JR越美北線越前大野駅から徒歩約20分。山頂まで徒歩約10分(4ヵ所の登城口がある)。◇亀山城ともよばれる。

おおのじょう【大野城〈福岡県〉】

福岡県太宰府市、糟谷郡宇美(うみ)町、大野城市にまたがって築かれた古代山城(さんじょう)(朝鮮式山城)。飛鳥時代に築城されたもので、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定された。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。城域は大宰府(だざいふ)の北方、標高約410mを最高峰とする四王寺(しおうじ)山一帯。四王寺山には、尾根つたいに延々8km以上に及ぶ土塁がめぐらされ、谷側には石垣が築かれている。北方に1ヵ所、西南に1ヵ所、南部に2ヵ所城門がある。本城は、大宰府北方という立地から、大宰府の防衛を目的とした城であると考えられている。西鉄太宰府線太宰府駅から県民の森センターまで車で約15分、徒歩約50分。JR香椎線宇美駅から車で約15分。九州自動車道太宰府ICから約6km。

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事典・日本の観光資源の解説

大野城

(福岡県大野城市・太宰府市・糟屋郡宇美町)
日本100名城」指定の観光名所。

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精選版 日本国語大辞典の解説

おおの‐じょう おほのジャウ【大野城】

[一] 福岡県太宰府市・宇美町・大野城市にまたがる朝鮮式山城。天智天皇四年(六六五)渡来人により築城。高さ四一〇メートルの四王寺山(大野山)の山頂部の尾根伝いに周囲約六キロメートルの土塁、石垣を築く。城門、倉庫などの礎石、敷石が残存。おおののき。
[二] 福岡県中西部の地名。福岡平野南部に位置し、第二次大戦前は純農村地帯。戦後住宅団地が建設され、福岡市の衛星都市として発展。北東部に国特別史跡・大野城跡がある。昭和四七年(一九七二)市制。
[三] 和歌山県海南市の藤白山にあった城。建武年間(一三三四‐三六)浅間入道寛心が在城した記録があり、続いて細川、山名、大内、畠山氏が領有。天正年間(一五七三‐九二)廃城。
[四] 福井県大野市亀山にあった城。天正四年(一五七六)金森長近が築城を始め、織田・結城氏らを経て土井氏が領有。安永四年(一七七五)の大火で全焼。昭和四三年(一九六八)天守閣を復興。
[五] 愛知県愛西市にあった城。天正一二年(一五八四)小牧・長久手の戦いで蟹江合戦の場となった。

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