四軒屋町
しけんやちよう
南浜村と斎田村との間、東西に通る淡路街道に沿った郷町。当地の同街道は吉野川北岸を西進する撫養街道と重なる。撫養四軒屋ともよばれる。「鳴門辺集」によると、慶長年中(一五九六―一六一五)に播州から尾崎孫之助が家来三人と来て塩浜を築立て南浜村を開発、当初は四軒が居住していたが、しだいに繁盛し郷町となり、開基人の住居が四軒であったことから四軒屋町と称したという。郷町には貞享(一六八四―八八)頃指定されたともされる(鳴門市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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