日本歴史地名大系 「国友村」の解説
国友村
くにともむら
元禄郷帳では高八八六石余。享保九年大和郡山領郷鑑によれば、村高のうち一七六石余は鉄砲師の免許高とされ幕末に至った。同鑑によれば反別八一町九反余。家数は本百姓二三九・水呑一五、人数男三八二・女三四〇・僧四、医師七・職人七七(うち鉄砲鍛冶四四・金具師四・木挽六など)・酒屋四・商人一二。享保一五年当村と今村が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元禄郷帳では高八八六石余。享保九年大和郡山領郷鑑によれば、村高のうち一七六石余は鉄砲師の免許高とされ幕末に至った。同鑑によれば反別八一町九反余。家数は本百姓二三九・水呑一五、人数男三八二・女三四〇・僧四、医師七・職人七七(うち鉄砲鍛冶四四・金具師四・木挽六など)・酒屋四・商人一二。享保一五年当村と今村が
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