国友村(読み)くにともむら

日本歴史地名大系 「国友村」の解説

国友村
くにともむら

[現在地名]長浜市国友町

下之郷しものごう村の東に位置し、東はいま村、北は浅井あざい宮部みやべ(現東浅井郡虎姫町)あね川が西流する。織豊期からの鉄砲の生産で知られる。中世福永ふくなが庄のうちで、文明一八年(一四八六)一一月三日の六角氏奉行人奉書(永源寺文書)に「福永国友」、永正一四年(一五一七)八月日の米布施御影供新寄進帳(神照寺文書)に「国友」とみえる。江戸時代は初め幕府領、享保九年(一七二四)大和郡山藩領となる。慶長七年(一六〇二)検地帳(国友共有文書)によれば榎木田清右衛門・戸島作右衛門により検地が行われ、反別八〇町四反余、高九〇〇石余。延宝七年(一六七九)の検地では上々田四町八反余・八二石余、上田一四町九反余・二三九石余、中田一二町余・一八〇石余、下田四町余・六三石余、下々田一町六反余・二一石余、上畑三町八反余・四六石余、中畑三反余・三石余、下畑一反余・一石余、木荒七反余・二石余、屋敷七町二反余・八七石余、さらに河原方として上田二町七反余・一八石余、中田一五町一反余・九一石余、下田九町四反余・三七石余、下畑三反余・一石余、河原田四町九反余・九石余、木荒六反余・一石余(以上延宝七年「検地帳」同文書)。万治三年(一六六〇)の物成下札(同文書)によれば高九〇〇石余のうち永荒八五石余、当川原荒六四石余。

元禄郷帳では高八八六石余。享保九年大和郡山領郷鑑によれば、村高のうち一七六石余は鉄砲師の免許高とされ幕末に至った。同鑑によれば反別八一町九反余。家数は本百姓二三九・水呑一五、人数男三八二・女三四〇・僧四、医師七・職人七七(うち鉄砲鍛冶四四・金具師四・木挽六など)・酒屋四・商人一二。享保一五年当村と今村百太郎ひやくたろう井の埋樋について争論し、宝暦九年(一七五九)から同一三年にかけて当村・下之郷村と、大井おおい(現虎姫町)曾根そね(現東浅井郡びわ町)との間で用水争論が起こった(国友共有文書)。寛政元年(一七八九)閏六月今村地内の姉川と草野くさの川の合流点付近で堤防が決壊し、当村内でも横堤防が決壊した(中沢共有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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