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成瀬正成 なるせ まさなり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

成瀬正成 なるせ-まさなり

1567/68-1625 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
永禄(えいろく)10/11年生まれ。成瀬正一(まさかず)の長男。徳川家康につかえ,関ケ原の戦いののち下総(しもうさ)栗原藩(千葉県)藩主成瀬家初代。3万4000石。慶長12年徳川義直の守役(もりやく)となり,義直が尾張(おわり)名古屋藩主となると付家老として藩政の確立をたすける。元和(げんな)3年犬山城主。寛永2年1月17日死去。58/59歳。三河(愛知県)出身。幼名は小吉。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

成瀬正成

没年:寛永2.1.17(1625.2.23)
生年:永禄11頃(1568)
江戸時代前期の尾張国犬山城(愛知県犬山市)城主。尾張徳川家の付家老。三河国(愛知県)生まれ。通称は小吉,隼人正に任ぜられる。父は正一。幼少より徳川家康に近侍し小姓となる。豊臣秀吉から帰参を請われたが断った。関ケ原の戦後堺奉行。その後駿府の家康の側近となり年寄衆として幕政に参与した。慶長12(1607)年家康の9男義直の守役となるが,なおも年寄衆であった。同17年付家老となり,元和3(1617)年,尾張に移り3万石を領した。その死に際しては幕府の特旨により3日間江戸の音楽が停止されたという。<参考文献>成瀬美雄編「成瀬正成公伝」(『犬山市資料』1巻)

(小柴良介)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なるせまさなり【成瀬正成】

1568‐1625(永禄11‐寛永2)
尾張藩家老。1567年出生とも。初名小吉。隼人正。徳川家康の臣成瀬正一の嫡子として幼少より家康側近となり,小牧・長久手の戦以来数次の合戦に参加した。1607年(慶長12)本多正純安藤直次らとともに駿府で政務をとり,10年徳川義直の補佐,ついで家老となった。大坂の陣に従軍し,本多正純とともに城の総堀埋立てを奉行した。17年(元和3)犬山城を預かり,尾張藩政の基礎を固めた。江戸で没する。日光家康廟の傍らに葬られる。

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世界大百科事典内の成瀬正成の言及

【尾張国】より

…翌年検地実施,高47万2344石と定まる。11年親吉の死後,成瀬正成に犬山城を与え竹腰正信とともに執政として藩政に当たらせた。形式的な領主は義直であるが,実質は家康の直轄国である。…

※「成瀬正成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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