成瀬正成(読み)なるせまさなり

改訂新版 世界大百科事典 「成瀬正成」の意味・わかりやすい解説

成瀬正成 (なるせまさなり)
生没年:1568-1625(永禄11-寛永2)

尾張家老。1567年出生とも。初名小吉。隼人正。徳川家康の臣成瀬正一嫡子として幼少より家康側近となり,小牧長久手の戦以来数次の合戦に参加した。1607年(慶長12)本多正純,安藤直次らとともに駿府政務をとり,10年徳川義直の補佐,ついで家老となった。大坂の陣に従軍し,本多正純とともに城の総堀埋立てを奉行した。17年(元和3)犬山城を預かり,尾張藩政の基礎を固めた。江戸で没する。日光家康廟の傍らに葬られる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成瀬正成」の解説

成瀬正成 なるせ-まさなり

1567/68-1625 織豊-江戸時代前期の武将,大名
永禄(えいろく)10/11年生まれ。成瀬正一(まさかず)の長男。徳川家康につかえ,関ケ原戦いののち下総(しもうさ)栗原藩(千葉県)藩主成瀬家初代。3万4000石。慶長12年徳川義直の守役(もりやく)となり,義直が尾張(おわり)名古屋藩主となると付家老として藩政の確立をたすける。元和(げんな)3年犬山城主。寛永2年1月17日死去。58/59歳。三河(愛知県)出身。幼名は小吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の成瀬正成の言及

【尾張国】より

…翌年検地実施,高47万2344石と定まる。11年親吉の死後,成瀬正成に犬山城を与え竹腰正信とともに執政として藩政に当たらせた。形式的な領主は義直であるが,実質は家康の直轄国である。…

※「成瀬正成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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