国友(読み)くにとも

精選版 日本国語大辞典 「国友」の意味・読み・例文・類語

くにとも【国友】

  1. 姓氏の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「国友」の意味・わかりやすい解説

国友 (くにとも)

滋賀県長浜市南西部の国友町を中心とする一帯の地をいう。地内を北東から北西へ曲流する姉川のはんらん原に古代末期以来開けた農業地帯。時代によりその範囲に広狭がある。地名は765年(天平神護1)この地に封ぜられた百済の学頭国友の名にちなむという。〈国友〉の名は坂田郡国友郷として平安期から文献に見られる。鎌倉期には国友町を中心に今町,安福寺町,井ノ尻町を含めた一帯が国友荘と呼ばれるようになる。この地は平安期以来延暦寺領で,桜下門跡領の基本とされた。室町期,国友は西は下之郷町までに及び,上下両郷に分かれた。1361年(正平16・康安1)足利義詮から佐々木道誉に与えられ,国友氏が国友館に拠った。戦国末期,鉄砲伝来とともに以前から鍛冶の多かった国友は銃砲の大生産地となった。《国友鉄炮由緒書》によれば,国友村における鉄砲生産は,1544年(天文13)足利義晴から舶来の鉄砲を渡され模作を命じられたことに始まるという。天正初年,国友は豊臣秀吉領地となり,鉄砲の本格的生産地となっていく。近世に入っても幕府の保護をうけて鉄砲生産は発展したが,中期以降衰えた。ただ幕末に国友藤兵衛一貫斎(1778-1840)が出て,銃砲の改良,空気銃・天体望遠鏡の製作,太陽黒点の観測などを行い,ひとり気をはいた。国友村は江戸期,初め幕領であったが,1724年(享保9)以降は大和郡山藩柳沢氏の領地となる。村高は800~900石。近隣各村間で山論や水論がしばしば行われたが,当村も30年(享保15)今村と,59-63年(宝暦9-13)浅井郡大井村,曾根村と用水を争っている。1889年付近19ヵ村が合併し,国友村は神照村の大字となり,1943年現行の長浜市国友町となる。地内には真宗因乗寺,恭敬寺,願海寺,遍増寺,日吉神社国友一貫斎の碑・旧家,国友弥生遺跡がある。
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百科事典マイペディア 「国友」の意味・わかりやすい解説

国友【くにとも】

近江国坂田郡,現長浜市にある地名。国友鉄砲で知られる。姉川に近い国友遺跡からは弥生時代終末期から古墳時代初頭,8世紀中頃,11世紀中頃の遺物が検出され,大規模の集落遺構も注目された。985年に国友郷に空晴大師が開いた僧房があったと伝えるが,確かな史料では1206年に延暦(えんりゃく)寺桜下門跡領としてみえるのが早い。また福永荘のうちとしても現れる。鉄砲生産の開始期は明らかでないが,1544年に当地の鍛冶集団が将軍足利義晴から受けた鉄砲を見本に製造したのが始まりとも,あるいは1555年頃に南蛮(なんばん)人の長子孔の技術を吸収してから始まったともいう。織豊政権期には本格的な生産があったと考えられ,1574年に木村藤二郎が100石を与えられたのをはじめ,鉄砲鍛冶が保護され,その組織化が進んだようである。江戸時代当初には諸大名から召し抱えられたが,幕府の統制下に置かれるようになった。のち衰退を余儀なくされたが,1724年から大和郡山(こおりやま)藩領となった当時は職人77人のうち鉄砲鍛冶は44人を数えている。幕末期にかけて国友藤兵衛重恭(号は一貫斎)が活躍した。→国友鉄砲鍛冶

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国友」の意味・わかりやすい解説

国友
くにとも

滋賀県東部、長浜市の一地区。国友鉄砲鍛冶(かじ)の発祥地で、室町幕府第13代将軍足利義輝(あしかがよしてる)が長子口という人に鉄砲を製作させた地と伝えられる。近世には鉄砲村として繁栄した。現在は姉川南岸の農業地域であるが、一貫斎国友藤兵衛(とうべえ)の碑や、市の民俗資料の鉄砲鍛冶道具などを収めた「鉄砲の里資料館」がある。

高橋誠一

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国友」の解説

国友
くにとも

近江国坂田郡にある地名。現在の滋賀県長浜市国友町,姉川流域にあたる。平安時代には延暦寺領国友郷であった。戦国期には鉄砲の一大生産地として知られた。国友の鉄砲は豊臣秀吉がこの地を領有してからは,秀吉を通じて織田信長に供給されたようだが,やがて徳川家康が掌握した。江戸時代にも引き続き鉄砲が生産され,鉄砲鍛冶年寄により「国友鉄炮記」が記された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「国友」の解説

国友(2) くにとも

?-? 鎌倉時代の漆工。
正和(しょうわ)4年(1315)比叡山(ひえいざん)鎮守日吉(ひよし)神社の神輿(しんよ)の造り替えにくわわる。清光(きよみつ)以下13名の漆工のひとりとして「公衡(きんひら)公記」にみえ,上七社のうち十禅師(樹下神社)神輿の新造にたずさわった。

国友(1) くにとも

?-? 鎌倉時代の刀工。
京都粟田口(あわたぐち)派の祖・国家の長男。承元(じょうげん)(1207-11)のころ後鳥羽上皇の番鍛冶(ばんかじ)をつとめたとつたえる。通称は藤林(とうりん)左衛門尉。

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世界大百科事典(旧版)内の国友の言及

【山城物】より

…山城鍛冶の繁栄は平安中期から江戸初期までの長期にわたるが,永延(987‐989)のころ三条に住した三条宗近が最も古く,ついで一門の三条吉家,五条兼永,五条国永ら古京物と称される一派がおこった。鎌倉初期には《宇治拾遺物語》にも〈粟田口の鍛冶〉とあるように,粟田口派があらわれて名工が輩出し,とくに国友,久国,国安の兄弟は後鳥羽上皇の番鍛冶に選ばれている。さらに建長(1249‐56)ころの国綱は北条時頼の招きにより鎌倉で作刀し,相州鍛冶(相州物)の基を築いたと伝え,末期の吉光は短刀の名手として名高い。…

【長浜[市]】より

…豊(ほう)公園内にかつての長浜城を模した長浜城歴史博物館がある。市街北部の国友は戦国時代末以来鉄砲鍛冶の集落として知られ,名工国友一貫斎の邸跡が残る。【畑中 誠治】【井戸 庄三】。…

※「国友」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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