デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土岐成頼」の解説 土岐成頼 とき-しげより 1442-1497 室町時代の武将。嘉吉(かきつ)2年生まれ。一色義遠(いっしき-よしとお)の子。一説に饗庭(あえば)元明の子とも。土岐持益(もちます)の養子となり,美濃(みの)(岐阜県)守護をつぐ。応仁(おうにん)の乱では西軍の山名持豊(もちとよ)方にくわわり,乱後は足利義視(よしみ),義材(よしき)(のち義稙(よしたね))父子をともない美濃へもどる。明応4年船田合戦で跡継ぎに長男政房を推す守護代斎藤利国に敗れ,隠居。明応6年4月3日死去。56歳。名は「なりより」ともよむ。 土岐成頼 とき-なりより ⇒とき-しげより 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土岐成頼」の意味・わかりやすい解説 土岐成頼ときしげより [生]?[没]明応6(1497).4.3.室町時代の武将。美濃国守護。『土岐累代記』には「饗庭備中守元明ノ長子」とみえ,『美濃明細記』には「饗庭備中守義教ノ子」とある。土岐持益の子持兼の早世により,相続問題から国内が乱れ,土岐家執事斎藤妙椿の援助で土岐家を襲った。幕政運営に関与し,応仁の乱には山名方に一味し,文明9 (1477) 年足利義視を奉じて美濃に帰った。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報