土方成美(読み)ヒジカタ セイビ

20世紀日本人名事典 「土方成美」の解説

土方 成美
ヒジカタ セイビ

大正・昭和期の経済学者 中央大学名誉教授



生年
明治23(1890)年7月10日

没年
昭和50(1975)年2月15日

出生地
兵庫県姫路市

旧姓(旧名)
町田

学歴〔年〕
東京帝国大学法科大学経済学科〔大正4年〕卒,東京帝国大学大学院修了

学位〔年〕
経済学博士〔大正13年〕

経歴
大正6年東大助教授となり欧米留学、10年帰国して経済学部教授。昭和8年経済学部長(2期)、14年の平賀粛学休職、16年免官。20年中央大教授、39年同大退官、のち独協大教授などを務めた。マルクス主義者との論争で有名。著書に「わが国民所得の構成」「マルクス価値論の排撃」「財政学原理」「新経済学原理」「経済体制論」「ケインズ経済政策批判」「学界春秋記―マルクシズムとの抗争三十余年」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土方成美」の解説

土方成美 ひじかた-せいび

1890-1975 大正-昭和時代の経済学者。
明治23年7月10日生まれ。土方寧(やすし)の養子。大正10年母校東京帝大の教授。昭和13年河合栄治郎の著書発禁処分で激化した経済学部内の抗争で反河合派のリーダーとなる。翌年平賀譲(ゆずる)総長による粛学で休職,のち免官。戦後は中央大,独協大の教授。昭和50年2月15日死去。84歳。兵庫県出身。旧姓は町田。著作に「マルクス価値論の排撃」など。

土方成美 ひじかた-しげよし

ひじかた-せいび

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「土方成美」の解説

土方 成美 (ひじかた せいび)

生年月日:1890年7月10日
大正時代;昭和時代の経済学者。中央大学教授
1975年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の土方成美の言及

【平賀粛学】より

滝川事件(1933)以来帝国大学内の自由主義者に対する右翼勢力の攻撃は強まっていたが,荒木貞夫の文相就任(1938)以来,文部省も大学の自治への介入の姿勢をいっそう強めていた。そのころ同学部では,河合栄治郎を中心とする一派と,土方成美などのファッショ的勢力との間で対立が続いていた。1938年10月河合の著作が発禁処分にあうや,大学人としての河合の処分を要求する学内外の右翼勢力の動きは高まりを見せた。…

【矢内原事件】より

…東京帝大経済学部教授矢内原忠雄は,日中全面戦争開始に当たり戦争批判の論文《国家の理想》を《中央公論》(1937年9月号)に執筆したが,同論文は検閲で削除処分に付せられた。しかし経済学部教授会で土方成美同学部長は突然この論文を議題としてとり上げ,反戦的言論であると批判し,翌日の新聞はこの教授会の議事を報道した。矢内原の辞職を阻止しようとする大内兵衛らは長与又郎総長への説得工作に当たり,長与総長も一時は説得に応じたが,その後新たに,矢内原の講演《神の国》における〈……この国を葬って下さい〉の言葉が問題とされるに及んでこの説得も効を奏せず,37年12月1日矢内原は辞職した。…

※「土方成美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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