東京都の最南端、神奈川県に接する市。1958年(昭和33)町田町と鶴川(つるかわ)、忠生(ただお)、堺(さかい)の3村が合併して市制施行。多摩丘陵の西部を占め、境(さかい)川の谷を隔てて神奈川県の相模原(さがみはら)台地に接し、北部に鶴見(つるみ)川、中部に恩田(おんだ)川の低地がある。JR横浜線と小田急電鉄小田原線が交差し、南端に東急電鉄田園都市線、西端に京王電鉄相模原線が通じる。国道16号と246号が南端で交差し、付近に東名高速道路横浜町田インターチェンジがある。古代の遺跡が多く、高ヶ坂石器時代遺跡(こうがさかせっきじだいいせき)は縄文時代の遺跡として国史跡に指定されている。北西の小山(おやま)町には奈良時代に相模国分寺の瓦(かわら)を焼いた窯跡がある。中心市街地の原町田は江戸時代中ごろ生糸、繭を扱う二・六市(いち)が開かれ、明治に入り生糸貿易の隆盛とともに栄えた。第二次世界大戦前、周辺に軍事施設が進出、戦後は東京の衛星都市として丘陵上に多くの住宅団地が建設され、急激に発展した。北西部は多摩ニュータウンの一部となっている。小田急線と横浜線の二つの町田駅は通路で結ばれ、周辺に大規模店舗が集中して中心商店街を形成している。玉川大学、桜美林(おうびりん)大学、昭和薬科大学、和光大学、法政大学(多摩キャンパス)、東京家政学院大学(町田キャンパス)、国士舘大学(鶴川キャンパス)など大学が多い。薬師池公園は市民憩いの場で、国指定重要文化財の旧永井家住宅がある。また芹ヶ谷(せりがや)公園内に国際版画美術館がある。面積71.55平方キロメートル、人口43万1079(2020)。
[沢田 清]
『『町田市史』2巻(1974、1976・町田市)』
東京都南端にある近郊都市。1958年市制。人口42万6987(2010)。境川を隔てて神奈川県相模原市と接する。市域の大半は多摩丘陵上にあり起伏に富む。中世には秩父氏の一族小山田氏の居館があった。また鎌倉と上州方面を結ぶ鎌倉街道の武蔵路が通り,小野路などの宿駅が栄えた。江戸時代には原町田や本町田で定期市が開かれるようになり,生糸などが取引された。横浜開港とともに原町田は八王子との交通中継点として宿場町のにぎわいをみせた。さらに1908年開通の横浜鉄道(現,JR横浜線)と27年開通の小田急線の駅が原町田に開設され,商業も盛んになった。第2次大戦中,相模原が軍都になったのに伴い町田は軍人の住宅地として発展した。さらに戦後,都心への交通の便に恵まれた駅周辺は近郊住宅地化が進んだ。58年,町田市は相模原市とともに首都圏整備計画による市街地開発区域第1号に指定され,相模原市は工業地区として,町田市はおもに商業・住宅地区として開発されることになり,駅から遠隔の地区に相次いで大規模な集団住宅が建設された。現在は多摩ニュータウンも造成されて,市域全体が市街地化している。
執筆者:井内 昇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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