土浦城跡(読み)つちうらじようあと

日本歴史地名大系 「土浦城跡」の解説

土浦城跡
つちうらじようあと

[現在地名]土浦市中央一丁目

桜川左岸の低地に築かれた平城。南北に台地を控え、桜川・霞ヶ浦から引かれた水堀が四重五重にめぐらされている。亀(き)城ともよぶ。

土浦城の起源は明らかでないが、永享年間(一四二九―四一)頃に今泉氏が築いたものと考えられる(土浦城記)。その後城主は信太氏・菅谷氏と代わり、天正一八年(一五九〇)には結城秀康の支城となり、さらに松平信一を城主として江戸時代を迎えた。当時の城の様子は不明であるが、以下「土浦城記」についてみると信一の子信吉が城主となった時に「二之丸、中之門、黒門、今之仕切之門二之丸門是也」と城の形が整えられ、また「土浦町南西北三門始建之」と町の三方に門が造られた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

東日本大震災を受け2011年6月に成立した津波対策推進法で、故事「稲むらの火」にちなみ、11月5日と定めた。江戸時代の1854年11月5日(旧暦)、安政南海地震で大津波が発生。現在の和歌山県広川町で...

津波防災の日の用語解説を読む