坂下宿(読み)さかのしたじゆく

日本歴史地名大系 「坂下宿」の解説

坂下宿
さかのしたじゆく

[現在地名]関町坂下

坂下村に置かれた鈴鹿峠直下の近世東海道の宿場。東の関宿から一里二四町、次の近江国土山つちやま宿(現滋賀県土山町)へ二里半(東海道宿村大概帳)

京都醍醐だいご三宝さんぼう院の賢俊は貞和二年(一三四六)一〇月二五日伊勢参宮に出発、「二十六日庚子、昼坂ノ下、夜垂水」と記し(賢俊日記)、応永二九年(一四二二)四月一五日、中原康富は「於坂下昼物有、窪田夜宿」(康富記)と当地で昼食をとっている。同三一年将軍足利義量も参宮で通り、一二月一五日「夜あけぬれば坂の下につきぬ。そのあたりちかき所に、御ひるの御まうけありて、御とうりうのよしきこへ侍るを、しばしやすらひ侍にき、此処よりはすでにいせの国にて」(室町殿伊勢参宮記)とある。連歌師宗長も大永四年(一五二四)四月二二日「鈴鹿山の坂の下まで乗物。以下同行衆馬(中略)亀山より又乗物たふ。今日の老屈休息。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の坂下宿の言及

【鈴鹿峠】より

…中世には山賊の横行がはげしく,1424年(応永31)地頭の山中氏がその討伐を幕府に訴え出ている。近世に入ると,五街道中の最重要路として旅人の往来が頻繁になったが,近江側の土山宿と伊勢側の関宿との間が離れすぎていたので,峠の南東約2kmの所に坂下(さかのした)宿が設けられた。東海道では,東の箱根越えと並ぶ難所で,峠には数十軒の茶屋と問屋があった。…

※「坂下宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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