日本歴史地名大系 「坂折村」の解説 坂折村さかおりむら 山梨県:甲府市旧山梨郡地区坂折村[現在地名]甲府市酒折(さかおり)一―三丁目・酒折町・善光寺(ぜんこうじ)一丁目・同三丁目板垣(いたがき)村の東にある。同村との境を南流する大円(だいえん)川は西から東へ流れてきた濁(にごり)川に落ち、同川は村の南東端で南に曲がって、西流してきた十郎(じゆうろう)川を合する。南方を甲州道中がほぼ東西に通る。村名は酒折・阪折・酒依(さかより)などとも記され、北西にある酒折宮に由来する。永禄四年(一五六一)の番帳にみえる「坂よりの禰き」は同社神職をさす。天正一〇年(一五八二)九月二〇日北条氏政から武田氏旧臣大井河内守に甲州の「酒寄」一〇〇貫文など計七〇〇貫文が望みに任せ宛行われた(「北条氏印判状写」武州文書)。翌一一年四月二四日には三宮国玉(くだま)神社(現玉諸神社)に酒依のうち一貫文などが安堵された(「徳川家康印判状」玉諸神社文書)。同一八年八月一〇日には酒折郷内の帰命(きみよう)院山屋敷の地子が免除されている(「豊臣家証文写」寺記)。なお武田家の重臣板垣信方の次男昌光は酒依郷に住して酒依氏を称したといい、その子孫が江戸時代旗本となっている(甲斐国志・寛政重修諸家譜)。 坂折村さかおりむら 大分県:竹田市坂折村[現在地名]竹田市飛田川(ひだがわ)稲葉(いなば)川中流にあり、西は塩付(しおつき)村。直入(なおいり)郷坂折名の遺称地。正保・元禄・天保の各郷帳に村名がみえない。弘化物成帳では君ヶ園組のうち、村位は中、免八ツ四分、田一四六石余(一三町五反余)・畑二一石余(四町八反余)・屋敷四石余(四反余)で、開田はほとんどなく、開畑九斗余(一町六反余)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by