坂西利八郎(読み)バンザイ リハチロウ

20世紀日本人名事典 「坂西利八郎」の解説

坂西 利八郎
バンザイ リハチロウ

明治〜昭和期の陸軍中将 中国政府顧問;貴院議員(勅選)。



生年
明治3年12月16日(1871年)

没年
昭和25(1950)年5月31日

出生地
和歌山

別名
号=菊潭

学歴〔年〕
陸士〔明治24年〕卒,陸大〔明治33年〕卒

経歴
明治25年砲兵少尉、野砲第6連隊付となり28年日清戦争に従軍。35年参謀本部員として清国派遣、37年袁世凱政権顧問。41年帰国し、ヨーロッパ出張。43年野砲第9連隊長となり、44年から北京駐在武官、大正10年中将、12年黎元洪大統領顧問、13年中国政府顧問となり、昭和2年まで北京に滞在した。支那通として青木宣純の後継者となり、中国併呑論を主張した。昭和2年予備役、勅選貴院議員となり21年まで務めた。講演集「隣邦を語る」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「坂西利八郎」の解説

坂西 利八郎
バンサイ リハチロウ


別名
号=菊潭

生年月日
明治3年12月16日

出生地
和歌山県

学歴
陸軍士官学校〔明治24年〕卒 陸軍大学校〔明治33年〕卒

経歴
明治25年砲兵少尉、野砲第6連隊付となり28年日清戦争に従軍。35年参謀本部員として清国派遣、37年袁世凱政権顧問。41年帰国し、ヨーロッパへ出張。43年野砲第9連隊長となり、44年から北京駐在武官、大正10年中将、12年黎元洪顧問。支那通として青木宣純の後継者となり、中国併呑論を主張した。昭和2年予備役、勅選貴族院議員となり21年まで務めた。講演集「隣邦を語る」がある。

没年月日
昭和25年5月31日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「坂西利八郎」の解説

坂西利八郎

没年:昭和25.5.31(1950)
生年:明治3.12.16(1871.2.5)
明治大正期の陸軍軍人紀州(和歌山)藩士坂西良一の長男。明治24(1891)年陸軍士官学校,33年陸軍大学校卒業。35年清国に派遣される。37年日露開戦とともに青木宣純のあとを継いで袁世凱顧問となり,41年までの6年あまり北京に駐在した。44年辛亥革命に伴いふたたび中国に赴き,大正12(1923)年黎元洪大総統顧問,13年中国政府顧問となり昭和2(1927)年まで約17年間北京に滞在。「支那通」の代表的存在となる。中国語に堪能で,北京に通称坂西公館」を構え,日本の中国政策の裏面で活躍。2年中将で予備役に編入,21年まで貴族院議員を務めた。<著作>『隣邦を語る』

(戸部良一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂西利八郎」の解説

坂西利八郎 ばんざい-りはちろう

1871*-1950 明治-大正時代の軍人。
明治3年12月16日生まれ。35年参謀本部員として清(しん)(中国)にわたり,37年袁世凱(えん-せいがい)の,大正12年黎元洪(れい-げんこう)の顧問となる。青木宣純(のりずみ)の跡をつぎ対清情報・謀略活動を担当した。陸軍中将。貴族院議員。昭和25年5月31日死去。79歳。紀伊(きい)和歌山出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「坂西利八郎」の解説

坂西 利八郎 (ばんざい りはちろう)

生年月日:1871年12月16日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。中国政府顧問;貴族院議員
1950年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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