コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

青木宣純 あおき のりずみ

2件 の用語解説(青木宣純の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

青木宣純 あおき-のりずみ

1859-1923 明治-大正時代の軍人。
安政6年5月19日生まれ。明治24年参謀本部付としてベルギーに留学。日清(にっしん),日露両戦争に出征,のち清国公使館付武官。大正2年陸軍中将に昇進,旅順要塞(ようさい)司令官となる。のち中華民国大総統黎元洪(れい-げんこう)の軍事顧問をつとめた。大正12年12月12日死去。65歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。陸軍士官学校卒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

青木宣純

没年:大正13.12.12(1924)
生年:安政6.5.19(1859.6.19)
明治期の陸軍軍人。薩摩藩の支藩である佐土原藩(宮崎県佐土原町)の藩士青木新蔵の長男で,娘は陸軍中将磯谷廉介の妻。陸軍幼年学校,陸軍士官学校に学び山砲2大隊付となる。明治17(1884)年砲兵中尉,参謀本部付の資格で中国に派遣され,20年まで中国語を修得し,多くの知己を得た。帰国後陸士教官,参謀本部局員を経て,24年から26年までベルギーに留学,帰国後参謀本部第2局員。日清戦争(1894~95)では山県有朋の率いる第1軍の参謀を務め,田村怡与造と親しくなった。30年から33年まで清国公使館付となり,袁世凱(のち中華民国初代大総統)らと親交を結び,陸軍を代表する中国通となった。日露間が険悪となった36年秋,参謀次長児玉源太郎の強い要請を受け,3回目の清国公使館付となって,諜報・謀略活動を行うことになった。公使館を本部として,日本軍人,中国人を組織,袁世凱を味方に入れ,馬賊を使嗾して情報収集,鉄道・電話線の破壊,後方かく乱などを実施,日露戦争(1904~05)での日本の勝利に多大の貢献をなし,謀略将軍と仇名された。大正2(1913)年中将に進み旅順要塞司令,12年黎元洪軍事顧問となったが,帰国の途中病死した。<参考文献>佐藤垢石『青木宣純

(田中宏巳)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

青木宣純の関連キーワード薩摩ガラス薩摩馬薩摩暦薩摩藩の琉球侵攻児島惣次郎坂田虎之助野津鎮雄真鍋斌桃井直幹山岡熊治

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone