坊主町
ぼうずまち
[現在地名]姫路市坊主町
姫路城の北から北西にかけての中堀のすぐ外側に位置する武家町。河間町の西を中堀沿いに西行し、中堀が南折して清水門近くまでが町域。江戸時代初期は鉄砲町(「姫路城下図」多木文化振興会蔵)とよばれ鉄砲足軽がいたようだが、のちに城主に近侍する茶坊主が住んだらしい(大正八年刊「姫路市史」)。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図には堀沿いに八軒の侍屋敷があり、その北は中間町、西は足軽町と長松院がみえる。船場川と妹背川(現大野川)が合流する所には煙硝場(蔵)が江戸時代末まであった。
坊主町
ぼうずまち
[現在地名]仙台市八幡二丁目・同四丁目・国見二丁目
石切町の西、八幡町の北裏にあり、坊主衆が居住した。坊主とは「城中座上之使」のため剃髪していた者で(封内風土記)、茶の湯ほか雑事に使役されたといわれる。「仙台鹿の子」によると元禄二年(一六八九)頃の割出で、それ以前は川内にあり、天和三年(一六八三)以後に亀岡八幡神社の地となる一帯であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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