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坪江荘 つぼえのしょう

百科事典マイペディアの解説

坪江荘【つぼえのしょう】

越前国坂井郡にあった奈良興福寺春日大社)領荘園。隣接する同寺領河口(かわぐち)荘を併せて河口坪江荘と総称される場合が多い。荘域は福井県あわら市坂井市に及ぶとみられ,丸岡町(現・坂井市)坪江が遺称地。1283年の総田数602町余。1288年に後深草院が新卅講(しんさんじっこう)料所として興福寺に寄進,講検校(けんぎょう)興福寺大乗院が支配。現地には公文(くもん)・政所(まんどころ)などが置かれ,南北朝頃から政所が請負代官となり,在地の土豪・武士らが代官職についた。荘内に三国湊を擁し,加越(かえつ)台地には放牧地があり,海産物や絹なども貢納していた。応仁・文明の乱後にこの地に勢力を伸ばしてきた朝倉氏は1472年の半済(はんぜい)をてこに荘全体を掌握,同氏滅亡後は一向一揆押領され,興福寺支配が回復されることはなかった。

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世界大百科事典内の坪江荘の言及

【坪江郷】より

…これによれば総田数602町7反300歩,分(勘料)銭1481貫367文であり,この田数は後々当郷(荘)田数の基準とされた。なお後にしばしば河口荘600町歩とともに坪江荘100町歩と称されたのは,本仏神田から除田を除いた定田(じようでん)と新仏神田,および本仏神田余,新仏神田余の合計で,春日社直領をさしている。 後深草院の寄進以後,1290年と97年(永仁5)に実検が行われ,98年には春日明神が御笠山を出座して郷内金津に着座,ここに坪江惣社春日社が造営されて,荘園の体制が整い,〈坪江御荘〉と称された。…

※「坪江荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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