城下町屋(読み)じようかまちや

日本歴史地名大系 「城下町屋」の解説

城下町屋
じようかまちや

[現在地名]長島町長島萱(ながしまかや)町・長島中(ながしまなか)町・長島下(ながしましも)町

長島城下の町で、長島江の堀を隔てて西に城跡(現長島中学校)がある。土地は又木(またぎ)村に属し、長島町屋ともいう。城下町は慶長六年(一六〇一)菅沼定仍が長島藩主として入部したことに始まる。元禄一五年(一七〇二)以降は増山氏の治世が明治維新まで続く。藩領が尾張・美濃・三重郡などにわたっていたので、各地からの人々の往来が多く繁盛した。しかし二万石の城下町としては小さな町であった。享保七年(一七二二)の長島絵図には家数七〇、人数四二七の記入があった(長島町誌)。

町屋はもと上下の二町だけであったが、「長島細布」によると、花林(かりん)院門前から北を上町(中町)、南を下町、萱町は裏町のことであり、下町には高札所があり、元禄一五年以前には辻番所にあったが、増山氏入部後の翌一六年に大橋の北詰西へ移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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