日本大百科全書(ニッポニカ) 「城島健司」の意味・わかりやすい解説
城島健司
じょうじまけんじ
(1976― )
プロ野球選手(右投右打)。福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)で捕手、中心打者として1995年から11年間にわたって活躍、2006年からは大リーグ(メジャー・リーグ)のシアトル・マリナーズで日本人初の捕手としてプレー。
6月8日、長崎県に生まれる。1995年(平成7)、別府大学付属高校(現明豊高校)での強肩強打を高く評価され、ドラフト1位でホークスに入団。同年7月9日にプロ入り初安打を打ったが、まだ実力不足で、出場したのは12試合。1996年も17試合のみの出場にとどまる。レギュラーとなったのは1997年。球団タイ記録となる4試合連続ホームランを放つなど、持ち前のパワーを発揮するとともに、捕手として15年ぶりとなる打率3割(3割8厘)をマーク。1998年はそれまでの自己最多の122試合に出場。翌99年は135試合にフル出場し、自己最多の151安打を放ち、ダイエーとして初めてのリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。初のゴールデン・グラブ賞にも選ばれ、以降2005年まで7年連続獲得している。2000年は故障で84試合の出場だったが、3割を超える打率をマークして、2年連続リーグ優勝を支える。2001年は自己最多のホームラン31本を記録、02年は通算ホームラン100本に到達し、盗塁阻止率は5割8厘という高率を残す。2003年には捕手として40年ぶりとなる史上2人目の全試合フルイニング出場を果たし、打率3割3分、ホームラン34本、打点119で、チームをリーグ優勝、日本シリーズ優勝に導く。日本シリーズではシリーズタイ記録となるホームラン4本を放った。シーズン後には初のリーグ最優秀選手(MVP)に選ばれる。2004年は、シーズン中に開催されたオリンピック・アテネ大会に日本代表として参加。ホームラン2本を打つ活躍で、銅メダル獲得の原動力になる。2005年も打率3割を超える活躍をしていたが、9月に自打球を左足に当て脛骨(けいこつ)を骨折、残りのシーズンを欠場。同年11月、FA(フリーエージェント)でマリナーズと3年1900万ドルで契約を交わす。大リーグデビューとなった2006年は開幕からレギュラーの座を確保、開幕2試合連続ホームランを放った。新人選手の開幕2試合連続は球団として22年ぶり史上2人目の快挙。その後も好調に打ち続け、打率2割9分1厘、ホームラン18本、打点76の成績を残し、シーズン終了までにはチームの中心選手となった。
[出村義和]
2007年以降
大リーグ2年目の2007年は135試合に出場。打率2割8分7厘、ホームラン14本、打点61で、いずれも前年を下回った。しかし、盗塁阻止率4割6分5厘(前年は3割3分7厘)、エラーもわずかに2(前年は7)で守備率9割9分8厘と、守備面では前年を大きく上回る好成績を残した。盗塁阻止率と守備率は、ともに大リーグ1位。
日本での11年間の通算成績は、出場試合1117、安打1206、打率2割9分9厘、本塁打211、打点699。獲得したおもなタイトルは、MVP1回、ベストナイン6回、ゴールデン・グラブ賞7回。2007年までの大リーグ通算成績は、出場試合279、安打286、打率2割8分9厘、本塁打32、打点137。
[編集部]
『繁昌良司(写真)・谷口由紀(インタビュー)『感性野球――城島健司の世界』(2000・葦書房)』