朝日日本歴史人物事典 「堀内素堂」の解説
堀内素堂
生年:享和1(1801)
幕末の蘭方医。出羽国米沢(山形県)生まれ。堀内忠明の次男。幼名は忠公,字は君栗または忠竜,のち忠亮と改めた。素堂は号。文政3(1820)年3月江戸に出て古賀穀堂に漢学を,杉田立卿,青地林宗に蘭医学を学んだ。同5年米沢藩主上杉斉定の侍医を拝命した。藩の医学校好生館の枢務に携わり,漢方に代えて蘭方を教授するよう改革した。天保14(1843)年わが国最初の西洋小児科翻訳書『幼幼精義』(7巻)を刊行。初篇3巻は小児病の総論,第2篇4巻は疾病の症候や治則にあてられている。特に天然痘にくわしく,牛痘接種の利害,痘苗の良否に言及している。<著作>『保嬰瑣言』『幼幼一言』<参考文献>堀内亮一『堀内素堂』,北条元一『米沢藩医史私撰』
(深瀬泰旦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報