20世紀日本人名事典 「堀田正養」の解説
堀田 正養
ホッタ マサヤス
江戸時代末期・明治期の政治家,子爵 逓信相;貴院議員。
- 生年
- 嘉永1年2月28日(1848年)
- 没年
- 明治44(1911)年5月10日
- 出生地
- 出羽国亀田(秋田県)
- 旧姓(旧名)
- 岩城
- 別名
- 幼名=駒之助,三四郎
- 経歴
- 亀田藩主岩城隆水の八男に生まれ、文久3年近江国宮川藩主堀田正誠の養子となり、家督を継ぎ、最後の宮川藩主となる。明治2年版籍奉還により宮川藩知事となり、4年廃藩後、東京赤坂、下谷、深川などの各区長を歴任。17年華族令発布により子爵。23年貴院議員に当選、研究会、尚友会の設立に参加。41年第1次西園寺内閣で逓信大臣に就任。その間、東京府会副議長、東京十五区会議長、鉄道会議員、鉄道国有調査会委員の他、日本興業銀行、満鉄などの設立委員を務めるなど、旧諸侯出身者のうち有為の人とみられ、特に鉄道政策への造詣が深かった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報