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明智秀満 アケチヒデミツ

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デジタル大辞泉の解説

あけち‐ひでみつ【明智秀満】

[1537~1582]安土桃山時代の武将。明智光秀の女婿とも従弟ともいわれる。別名、左馬助(さまのすけ)光春。光秀の先陣として本能寺を攻めたが、のち安土で敗れ、坂本城に逃れて自害。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

明智秀満 あけち-ひでみつ

?-1582 織豊時代の武将。
明智光秀につかえ,光秀の娘を妻とした。天正(てんしょう)9年ごろ丹波福知山城(京都府)城主。本能寺の変で先陣をつとめ,ついで安土城を守備。山崎の戦いの敗報をうけ近江(おうみ)坂本城にはいり,天正10年6月15日光秀の妻子らを刺殺して自害した。前名は三宅弥平次。俗説に名は光春,通称は左馬助。

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朝日日本歴史人物事典の解説

明智秀満

没年:天正10.6.14(1582.7.13)
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。明智光秀の女婿。当初は三宅弥平次といい,のちに明智を名乗ったとされる。なお妻は光秀の娘であるが,最初は荒木村重に嫁した。しかし天正6(1578)年,村重が織田信長に背いたとき離縁され,のち秀満に再嫁した。秀満は光秀の本能寺の変を確認するや,安土城から明智氏の居城である坂本城に移った。しかし同城も包囲され,光秀の死去を知ったであろう秀満は,配下の将兵らを逃がし,名物類を敵将の堀直政に贈ったのち,光秀の妻子や自分の妻子らを刺殺,城に火をかけて自刃した。なお秀満の父も丹波国横山で捕らえられ,京の粟田口で磔殺された。<参考文献>高柳光寿『明智光秀』

(宇野日出生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

あけちひでみつ【明智秀満】

?~1582) 安土桃山時代の武将。初名、三宅弥平次。明智光秀に仕えてその女婿となる。福知山城主。本能寺の変には先鋒せんぽうを務めたが、山崎の戦いで光秀が敗死すると、光秀の本城坂本に入り自刃。

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世界大百科事典内の明智秀満の言及

【山崎の戦】より

…光秀は夕刻勝竜寺城に入り,深夜近江に向かって逃走するところを土一揆に襲われ,山科の小栗栖(おぐるす)で殺された。そして15日明智秀満が坂本城で光秀の妻子一族を殺し,重宝を攻囲軍に贈って自殺,秀吉は光秀らの首を本能寺に梟(きよう)した。この戦いは,秀吉が迅速果敢な行動と3対1という兵力差と精神的優越性とによって,終始光秀を圧倒したもので,戦後秀吉の勢威は一段と高まった。…

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