日本歴史地名大系 「堤根神社」の解説
堤根神社
つつみねじんじや
鎮座地一帯は旧淀川水系の河川によって形成された砂洲地帯。淀川は一たび水量が増すと付近一帯を濁流に押流す荒川で、「日本書紀」仁徳天皇一一年一〇月条に茨田堤を築いたことがみえ、「古事記」仁徳天皇段には秦人を使役して茨田堤および「茨田三宅」を作ったとある。「日本書紀」によるとこの時難工事の箇所が二ヵ所あり、武蔵の人強頸と河内の人茨田連衫子の二人をもって川の神を祭れとの夢告があったが、結局衫子のほうは入水を免れたという話がみえる(寝屋川市の→茨田堤)。この説話が仁徳天皇の頃の話かどうかは別として、茨田連は「日本書紀」天武天皇一三年(六八四)一二月二日条に八色姓の一つである宿禰の姓を賜ったことがみえ、「新撰姓氏録」(河内国皇別)に「茨田宿禰 多朝臣同祖、彦八井耳命之後也、男野現宿禰、仁徳天皇御代、造茨田堤、日本紀合」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報