日本歴史地名大系 「塩木村」の解説 塩木村しおきむら 福島県:いわき市旧四倉町地区塩木村[現在地名]いわき市四倉町塩木(よつくらまちしおき)仁井田(にいだ)川下流右岸にあり、東は新田(にいだ)村、南西は狐塚(きつねづか)村、北は戸田(とだ)村。村名は永正年間(一五〇四―二一)津波に襲われ、天文年間(一五三二―五五)再び津波に見舞われたため、潮来村となり、のち転じて塩木村となったという(磐城郡村誌)。永徳四年(一三八四)八月日の好島東庄放生会祭礼役注文(飯野八幡宮文書)に、「富田・新田・狐塚・四町目・塩木五ケ村寄合 西庁屋五間作之」「狐塚・四町目・塩木・富田四ケ村寄合大瓶并十二合」とみえる。磐城郡に属した。近世の領主の変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)以降幕府領。 塩木村しおぎむら 岡山県:赤磐郡吉井町塩木村[現在地名]吉井町光木(こうき)来光寺(らいこうじ)村の西にある。村境を北軒(ほつけん)川が北に流れ北端を東流する高田(たかだ)川に合流する。南には宇根(うね)山があり、高田川沿いにわずかな平地がある。両川に沿って倉敷往来が通る。寛永備前国絵図では高一〇一石余。貞享元年(一六八四)の磐梨郡高目録(池田家文庫)には稲蒔(いなまき)村の内と貼紙がある。「備陽記」によれば田畠六町五反余、家数一二・人数八九。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高一二六石余、家老土倉四郎兵衛給地。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報